「わが神、どうして…」(2022.9.18礼拝ライブ配信)
礼拝説教題『わが神、どうして…』詩篇22篇1-18節
【主題聖句】
わが神 わが神 どうして私をお見捨てになったのですか。 私を救わず 遠く離れておられるのですか。 私のうめきのことばにもかかわらず。 (詩篇22:1)
聖書は「神の霊感」によって書き記されたものですが(2ペテロ1:21)、この22篇はもはやダビデの実体験を超えて、御霊の感動によって語られた、千年後のイエス・キリストの受難の驚くほど詳細な預言となっています。
第一に、イエス様が十字架上で叫ばれたのは、まさにこの1節の御言葉でした(マタイ27:46)。イエス様は父なる神様の愛する独り子です(マタイ3:17)。またイエス様も父なる神様のことを愛しておられ、「わたしと父とは一つです(ヨハネ10:30)」と言われました。一時的であるとしてもその最愛の父に完全に見捨てられ引き離される、これほど辛く悲しいことはありません。
第二に、イエス様は十字架上で恥辱を受けられ、激しい苦痛を味わわれました。6節のごとく虫けらのように蔑まれ、叩かれ、つばをかけられました(マタイ26:67-68)。また7ー8節そのままに嘲られました(マタイ27:41-43)。18節の通りに兵士たちがイエス様の着物を下着まで取って分け合ったということは(ヨハネ19:23-24)、イエス様は丸裸で十字架につけられたのです。14—17節は医学的に見て十字架の苦痛に当てはまるそうです。①十字架が立てられ穴に落ち込むときに衝撃で体中の関節がはずれる。②釘付けにされた手と足が体の重みで裂ける(ヨハネ20:25)。③極度の脱水症状で喉が渇く(ヨハネ19:28)。④心臓が破裂して体内の血液と水が分離する(ヨハネ19:34)。
第三に、イエス様の十字架の恥辱と苦痛そして死は私たちのためであり、イエス様を信じる者は誰でも永遠の滅びから救い出されます(ヨハネ3:16)。ダビデは聖霊によってイエス様の十字架の恥辱と苦痛を追体験しました。しかし彼は神様に拠り頼むことによって救い出されました。同様に神様はご自分を信頼する者を決して見捨てられることはありません(ヘブル13:5)。
三谷 浩司 牧師