『主を恐れる人は誰か』(2022.10.30礼拝)
礼拝説教題『主を恐れる人は誰か』 詩篇25篇12-22節
【主題聖句】
主を恐れる人は だれか。主はその人に選ぶべき道をお教えになる。
(詩篇25:12)
詩篇25篇の後半部分からも、私たちが主なる神様の祝福と守り、恵みと平安とを受けるにはどうしたらよいのか、四つのことを学びましょう。
第一に、主を恐れることです。これは聖書の至る所で何度も繰り返して命じられている最重要項目と言えます(箴19:23)。ここで主は、その人に選ぶべき道を教えられ、その人の魂は幸せの中に住み、その子孫は地を受け継ぎ、またご自身を恐れる者と親しくされ、ご自身の契約を彼らにお知らせになると素晴らしい約束をしておられます。では主を恐れるとは具体的にどうすることでしょうか。それは自分に対する主の主権を認め、主に絶対的な信頼を寄せて主の御言葉に聞き従うことです(申6:24、箴1:7)。
第二に、いつも主に目を向けることです。ダビデはそれを常に実践していました(使2:25-26)。彼は順境の時も逆境の時も、絶えず目に見えない主に信仰によって目を向けて、主への感謝の祈りと賛美をささげ、また罪を犯したならば素直に悔い改め、主にあわれみと救いを乞い求めました。あれほどの大きな罪を犯したダビデが、主のさばきによって死ぬことなくイスラエルの王位を継続できたのはそのためです(2サムエル12:13、詩51篇)。
第三に、主に身を避けることです。ダビデは敵に取り囲まれた時、自分の力やこの世の力に頼らず、いつも主に拠り頼み、主を避け所としました。それが最も安全で確実だということを確信していたからです(詩34:7-9)。避け所があるにもかかわらず、そこに入らない者は高慢で愚かな者です。
第四に、主への誠実と正しさを保つことです。それは自分では不可能ですが、ダビデは主を待ち望むことによってそのように歩むことができたのでした(1列9:4)。そして主は、ダビデと同様に主を恐れ、主に目を向けて歩むすべての信仰者を、すべての苦しみから贖い出してくださるのです。
三谷 浩司 牧師