『御民を祝福してください』 (2022.11.20礼拝)
礼拝説教題『御民を祝福してください』 詩篇28篇
【主題聖句】
どうか御民を救ってください。 あなたのゆずりの民を祝福してください。 どうか彼らの羊飼いとなって いつまでも彼らを携え導いてください。(詩篇28:9)
詩篇におけるダビデの祈りには、個人的な祈りから始まり、公の祈りで閉じられるパターンのものが複数あります(5篇、31篇他)。この28篇もそうですが、それはダビデが王として全イスラエルを代表して祈ると共に、霊的なイスラエルである全てのクリスチャンを代表する祈りと言えます。
第一に、ダビデは試練の中で神様に助けを叫び求めると同時に、祈りが聞かれたとの確信をもって喜び、賛美し、神様に感謝しています。祈りはすぐに聞かれたのではありません。むしろ神様が耳を閉ざし、口をつぐまれていると感じるほどになかなか聞かれなかったのです。それでもダビデは必死に祈り続けて神様に近づくことで、すでに聞かれたとの確信に至ることができたのでした。6~7節は「預言過去」というヘブル語用法が使われています。それはまだ実現していないことを実現したかのように表明することです。それこそがクリスチャンの祈りの真髄なのです(1ヨハネ5:14-15)。
第二に、ダビデは個人的な祈りにとどまらず、イスラエルの民の救いと祝福を祈りました。ダビデが王に召されたのは、選民であるイスラエルを敵の手から救い出し、神様の祝福の内に平和な生活を与えるためでした。しかしダビデは決して自分の力で御民を救い、導けるとは考えていません。だから自分が羊飼いとして羊を命がけで守り導いたように、神様がご自分の民を救い、導かれるようにと祈ったのです。私たちも自分のことだけでなく他の人のことも顧みましょう(ピリピ2:4)。誰もがダビデのような強い信仰を持っているわけではありません。特に信仰が弱く、自分では祈ることもできない魂のために、大牧者なるイエス・キリストに救いと祝福と導きを祈る者となりましょう(ヘブル13:20-21)。何よりも御霊が弱い私たちを助け、私たちのためにとりなしてくださっているのですから(ローマ8:26)。
三谷 浩司 牧師