『私の時は御手の中にある』(2022.12.18礼拝)
拝説教題『私の時は御手の中にある』 詩篇31篇14-24節
【主題聖句】
私の時は御手の中にあります。 私を救い出してください。 敵の手から 追い迫る者の手から。(詩篇31:15)
31篇の後半は苦悩から救われたダビデの感謝の賛美です。ここから、私たち信仰者が苦悩の中に置かれた時にどうすべきかをか学びましょう。
第一に、苦悩の中で主に信頼することです。ダビデは敵に取り囲まれて「四方八方みな恐怖」という危機的状況の中で、「あなたこそ私の神です」と信仰を告白しました。そして「私の時は御手の中にあります」との告白は、自分は決して敵の手中に落ちているのではなく、いかなる時も主の御手によって守られていることを確信し(詩121:7-8)、主に全面的に拠り頼んでいることを意味します。私たちの全生涯も主によって守られており、主は必ず最善の道に導いてくださいます。そのことを堅く信じ続けましょう。
第二に、主の恵みを祈り求めることです。「御顔をあなたのしもべの上に照り輝かせてください」は、祝祷にあるように主の恵みを求める祈りです(民6:25)。恵みとは「本来受ける資格のない者が与えられる恩恵」のことで、ダビデは自分を罪人と認めて主の御前にへりくだり、また「しもべ」の心でひたすら主の恵みとあわれみによる救いを祈り求めたのでした。そうした自分を低くする祈りこそが、主に聞き入れられる祈りです(ルカ18:13-14)。
第三に、主の慈愛と恵みを賛美し、心を強くして主を待ち望むことです。ダビデは「私はあなたの目の前から断たれたのだ」と一瞬心を乱しました。それでも主が祈りを聞かれたことにより、主の慈愛の大きさと恵み深さを覚えて心から主を賛美したのでした。その実体験を通して、自分と同様に苦悩の中で心を乱して不安になっているすべての信仰者たちに対し、心を強くして主を待ち望むように勧めています。それは主が共におられ、主に信頼する者を決して捨てられないことを思い出させるためです(申31:6)。
私たちの全生涯が、主の慈愛と恵みの御手の中にあることは幸いです。
三谷 浩司 牧師