『主が目を注がれる人』(2023.1.15礼拝)

礼拝説教題『主が目を注がれる人』 詩篇33篇10-22節

【主題聖句】

見よ 主の目は主を恐れる者に注がれる。主の恵みを待ち望む者に。                                                                                               (詩篇33:18)

  33篇の後半は創造主なる神様の摂理に対する賛歌です。摂理とはこの世界の出来事のすべてが神様の予知と配慮による永遠のご計画に従って起こることです。実に「歴史(History)」とは「主の物語(His Story)」であり、神様は天から地上のすべてに目を注がれて、すべてを支配しておられます。

 第一に、神様は地に住むすべての者に目を注がれます。神様が造られたもので神様の目から隠れているものは何一つありません(ヘブル4:13)。もし人間が神様のご計画に逆らって何事かを成そうと計画しても、決して成功することはないのです。どんなに地上で偉大な権力を持っていたとしても、ナポレオンやヒトラーのごとくに、その野望はことごとく打ち砕かれます。神様の永遠のご計画の前にはすべてが無力で、誰も抗うことはできません。

 第二に、主の目は主を恐れる者に注がれます。最初の目は監視するかのような厳しく冷たい印象を受けますが、今度の目は愛とあわれみに満ちた眼差しという印象を受けます。そうです。神様はご自分を恐れ、ご自分の永遠のご計画に身と心を委ねて恵みを待ち望む者に対しては、特別に目を注いでくださるのです。その人の計画はゆるぐことがありません(箴16:3)。また神様はその人の魂をキリストの十字架の死による贖いによって永遠の滅びから救い出され、永遠のいのちを与えてくださいます(ホセア13:14)。ダビデは少年の頃から獅子や熊、そしてあの巨人ゴリヤテと戦って見事に勝利しました。それは彼が強かったからではありません。彼が主を恐れ、主に拠り頼んだから、主が彼に勝利を与えられたのです(1サムエル17:37)。そのような目が私たちにも注がれていることは、何と安心でしょうか。

  ダビデがこの素晴らしい全知全能の造り主・救い主・助け主なる神様にいつも目を向けて心から喜んで賛美したように、私たちもそうしましょう。

三谷 浩司 牧師