『心の打ち砕かれた者の近くに』(2023.1.29礼拝)

礼拝説教題『心の打ち砕かれた者の近くに』 詩篇34篇11-22節

【主題聖句】
 主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ 霊の砕かれた者を
救われる。(詩篇34:18)

「心が折れる」という言葉を最初に使い始めたのは女子プロレスラーの神取忍さんですが、聖書の「心の打ち砕かれた」とは少々意味が異なります。「心が折れる」は落ち込んだり、気持ちが挫けたりした際の精神状態を表します。それに対し「心が打ち砕かれる」とは神様の前に心低くし、徹底的に悔い改めることです。それこそが神様の恵みを受ける最大の秘訣なのです。


第一に、神様は心の打ち砕かれた者の近くにおられます。そうした人の祈りは神様に喜んで受け入れられます(詩51:17)。そして神様はその人にいつも目を向けられて守られます。するとその人は神様の御心にかなった正しい生き方を自然とするようになるのです。それとは逆に高慢かつ心が頑なで罪を悔い改めない人は、神様のいのちから遠く離れており(エペソ4:18)、悪しき生き方をするのです。神様はその人から御顔を背けられます。


第二に、神様は心の打ち砕かれた者を救われます。イエス様は「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから(マタイ5:3)」と言われましたが、「心の貧しい者」とは霊的な破産者を意味します。すなわち自分自身では罪の代償を支払うことが不可能であることを認め、神様の憐みに全面的に拠りすがる者だけが救われて天国に入れるのです(イザヤ57:15)。ライフセーバーが溺れている人を救助する時、その人がもがくの止めて水中に沈んでから助けるのと同じように、善行や修行や布施といった自分の行いで救いを得ようとする人を、神様は救うことはおできになりません。 


第三に、神様は心の打ち砕かれた者に豊かな祝福を与えられます。自分の持っているものに頼る者はそれ以上のものを神様からいただくことはできません。握り締めていた手を開いて神様の前に差し広げる時、神様は天の窓を開いて溢れるばかりの祝福を注いでくださるのです(マラキ3:10)。

三谷 浩司 牧師