『神の義を喜びとする者』(2023.2.12礼拝)
礼拝説教題『神の義を喜びとする者』 詩篇35篇15-28節
【主題聖句】
私の義を喜びとする者たちが 喜びの声をあげ 楽しむようにして ください。彼らがいつも こう言うようにしてください。「主は大いなるかな。ご自分のしもべの平和を喜ばれる方は」と。(詩篇35:27)
35篇の後半では、理由のない苦しみを敵から受けている中であっても、神様の義を喜びとする者がいかに幸いであるかをダビデが大胆に証しています。まさしく「嘆きは変わりて歌となりぬ」の心境と言えるでしょう。
第一に、神様が完全な義なるお方であることを喜びとします。神様は、決して正しい者がゆるがされるようにはなさらず、悪しき者を必ず罰して滅ぼされます(詩55:22-23)。だからダビデはどんなに敵にあざけられても、自分自身で復讐することなく、心の重荷をすべて神様にゆだねたのです。イエス様も、「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せ(1ペテロ2:23)」になられました。それは、その十字架の身代りの死によって私たちを義とするためでした。
第二に、神様がキリストを信じる者を義と認めてくださることを喜びとします(ガラテヤ2:16)。ダビデは「私の義を喜びとする」と言っていますが、それは彼が罪を犯していないということではなく、罪を悔い改めて神様に信頼したことによって義と認められたことを意味しています。誰だろうと「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる」のです(ローマ10:10)。
第三に、神様の義を第一に求める者には全ての必要が満たされることを喜びとします(マタイ6:31-33)。この後ダビデはイスラエルの王となり、その地に平和が訪れ、彼の王国は非常に繁栄しました。彼の子ソロモンもそうでした。富も力も名誉も、神様の義を求めるなら加えて与えられます。
そのように私たちクリスチャンは神様の義を喜びとする者です。だからその喜びを人々の前に隠すことなく(マタイ5:15-16)、ダビデのように大きな会衆の中で神様に感謝して賛美し、喜びの光を輝かせる者となりましょう。
三谷 浩司 牧師