「イエス様の復活」(2023.4.9イースター礼拝)
イースター礼拝説教題『イエス様の復活』 マタイの福音書27:57-28:15
【主題聖句】
ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。(マタイ28:6)
イエス・キリストの復活、それは十字架の死と同じく歴史的事実であり、私たち罪ある人間を救うための神の永遠の昔からのご計画の成就でした。
イエス様が十字架で死なれた後、その遺体をアリマタヤのヨセフが引き取り、彼の所有する新しい墓に葬りました。その墓の入口には大きな石が転がして置かれましたが、それをイエス様の弟子たちが動かすのは不可能でした。なぜなら、イエス様の遺体を弟子たちが盗んで「死人の中からよみがえった」と言いふらすのを恐れた祭司長たちの指図によって封印され、番兵たちが交代で警備していたからです。しかしそれを嘲笑うかのように、三日目の日曜日の明け方に天使が現れ、いとも簡単に石をわきへ転がし、その上に座ったのでした。それを目撃した番兵たちは恐れおののき死人のようになりました。その時すでに墓の中は空でした。死も封印も番兵たちも神の御子であるイエス様の永遠のいのちの前には無力です(詩16:10)。逃げ帰った番兵らの話を聞いた祭司長たちが、「番兵たちが寝ている間に弟子たちが盗んだ」とあり得ない話を捏造しなければならなかったことが、かえってイエス様の復活が事実であったことを証明していると言えます。
イエス様は聖書の預言通りに十字架にかかって死なれ、葬られ、三日目によみがえられました(1コリント15:3-4)。そのことを御使いから聞かされた女たちは、恐れを覚えながらも大喜びで弟子たちに知らせに行こうとし、その途中に復活されたイエス様にお会いしたのでした。その時、彼女らの悲しみは完全に喜びに変わり、イエス様を神の御子として礼拝しました。私たちも愛する人との地上での別れは悲しく、天国で再会できると信じていても喜ぶことは困難です。しかしやがて私たちが地上での生涯を終えて天国に入れられ、愛する人と再会した時、喜びに満ち溢れることでしょう。その再会の希望はイエス様の復活の信仰により持てるのです(1ペテロ1:3)。
三谷 浩司 牧師