『主の救いを愛する』(2023.4.30礼拝)

礼拝説教題『主の救いを愛する』 詩篇40篇11-17節

【主題聖句】

あなたを慕い求める人たちがみな あなたにあって楽しみ 喜びますように。 あなたの救いを愛する人たちが 「主は大いなる方」と いつも言いますように。(詩40:16)

この詩篇の13-17節は70篇と大半が同じ内容です。それは11-12節の極めて困難な状況がダビデにとって忘れがたいものだったからでしょう。髪の毛よりも多い数えきれない災いが彼を取り囲んだとあります。それは彼自身の罪が原因であり、彼は「悩む者、貧しい者」として心が自分を見捨てるほどに絶望的で、ただ神様のあわれみにすがるしかありませんでした。

そのような状況の中でダビデは「あなたの救いを愛する」と大胆に告白します。それは主の救いを実際に体験した人だけが言える言葉です。愛は抽象的なものではなく、具体的な態度によって表現されます。この「救いを愛する」とは、どんな状況にあっても主の恵みとまことを絶対的に信頼し、主の救いを慕い求め、忍耐して待ち望むことだと言えます(1コリント13:7)。
聖書は「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない(ローマ10:11)」と約束していますが、その約束通りにダビデは絶望的な状況から何度も救われました。何よりも「罪の泥沼」「永遠の滅びの穴」から救われ、すべての罪が赦され、永遠のいのちを得、天国の約束を与えられたのです。

それゆえ「主の救いを愛する人」は、救われていることをいつも感謝して主にあって楽しみ、喜ぶことができ、たとえ困難の最中にあっても救いを与えてくださった主をあがめ、主の御名を賛美することができるのです。神様の御心は、救われた者がみな「主の救いを愛する人」となることです。
しかしサタンは、私たちが「主の救いを愛する」ことができないように、私たちの罪深さや弱さを指摘し、「あはは」と嘲笑い、心を責め立てて信仰をくじこうとします。そのよう時には、ダビデのように自分が「貧しい者、悩む者」であることを素直に認めて、急いで神様に助けを求めましょう。

三谷 浩司 牧師

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です