『主を慕いあえぐ』(2023.5.14礼拝)

礼拝説教題『主を慕いあえぐ』 詩篇42篇

【主題聖句】

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように 神よ 私のたましいは

あなたを慕いあえぎます。(詩42:1 )

イスラエルの国土の大半は乾燥地帯で、ワジと呼ばれる谷川は雨期には水が豊かに流れますが、乾期には涸れ果ててしまいます。雨期から乾期に代わる5月頃には、ワジに点在する水を探し求める鹿の姿も見られます。

水は生きて行くために必要不可欠なものです。だから鹿は谷川の流れを慕いあえぐのです。私たちクリスチャンが霊的に生きるためにも「いのち水の泉」である主との交わりが必要不可欠であり(黙7:17)、もしも主から離れ去るなら、私たちは霊的に枯渇して死んでしまいます(エレミヤ17:13)。

この詩篇の作者は神様を愛し、聖所での公同礼拝を何よりも喜びとして大切にする人だったと思われます。しかし彼は敵に迫害されて追われる身となり、聖所での公同礼拝をささげることができなくなりました。それは彼にとって大きな悲しみであり、昼夜を問わず涙を流し続けたのでした。

なぜ彼は、それほどまでに公同礼拝を大切に思っていたのでしょうか。私たちは日々個人的な礼拝でも神様と交わることができます。しかし主にある兄弟姉妹と共に集って神様に祈り、賛美する公同礼拝は天国の写し鏡なのです(詩133:1)。人は一人で生きていけないように、クリスチャンも地上で一人で信仰生活を送ることはできません。そのために神様は地上におけるキリストのからだとして教会を造ってくださいました(エペソ1:23)。

人は様々な事情で教会に行けなくなったり、教会から離れてしまうことがあります。そのような時に霊的に孤独を感じて主を慕いあえぐ人は幸いです。もちろん主はいつも私たちと共にいてくださいます。しかし、共に信仰生活を送る仲間がいなければ、倒れても起き上がれません(伝4:10)。

私たちが教会の公同礼拝に集えない時、「お前の神はどこにいるのか」と敵である悪魔は魂を攻撃してきます。その時は、主を慕いあえぎましょう。そして、主が必ず道を開いてくださることを信じて、待ち望みましょう。

三谷 浩司 牧師

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