『苦難の日に主を呼び求めよ』(2023.7.16礼拝)

礼拝説教題『苦難の日に主を呼び求めよ』 詩篇50篇1-15節

【主題聖句】
苦難の日に わたしを呼び求めよ。 わたしはあなたを助け出し      
あなたはわたしをあがめる。」(詩50:15)

私たちは「苦しい時の神頼み」を良くするものです。それは決して間違いではなく、むしろ聖書は積極的にそうするように私たちに命じています。しかし重要なのは、その頼るべき「神」が実際は存在しない偶像の神でなく、創造主なる唯一真の神でなければならないということです(1コリント8:4)。

第一に、真の神様は正しい審判者です。もし私たちが何らかの罪を犯したことによって苦しんでいるなら、その罪を悔い改めることなしに神様の救いを期待することはできないし(イザヤ59:2)、もしかしたらその苦しみは神様のさばきによるものかも知れません。しかし私たちが罪を悔い改めて神様に立ち返るなら、神様は私たちの罪を赦されて、祈りを聞かれ、苦難から救い出してくださいます(使徒3:19)。もし義のための苦しみならば、神様は耐え忍ぶ力と幸いな報いを与えてくださるでしょう(ヤコブ5:11)。

第二に、真の神様は物質的ないけにえを要求されません。世の偶像の神は人間の願い事を聞くために供え物や賽銭を要求しますが、それは人間が勝手に考え出したことであり、神を利害関係で取引する人間と同じレベルに引き下げる行為です。真の神様はこの世界のすべてのものを創造され、また所有しておられる方ですから、私たち人間から何も受ける必要はありません(使徒17:25)。神様が私たちの願い事を聞いてくださるのは、ただ私たちを愛しておられるからであって、恵みとあわれみによるものです。もし私たちが神様を心から愛して信頼するなら、必ず祈りは聞かれます。

第三に、祈りが聞かれて苦難から救い出されたなら、「神の神、主」なる真の神様に感謝のいけにえをささげ、御名を崇めましょう。それは絶えず感謝の心をもって神様を賛美し、また喜んで礼拝することに他なりません(ヘブル13:15)。それが救われた私たちに神様が要求されるすべてであり、神様はそのような霊的ないけにえを喜んで受け入れてくださるのです。

三谷 浩司 牧師