『神の恵みに拠り頼む』(2023.8.13礼拝)
礼拝説教題『神の恵みに拠り頼む』 詩篇52篇
【主題聖句】
しかし私は 神の家に生い茂るオリーブの木。 私は世々限りなく
神の恵みに拠り頼む。(詩52:8)
表題の事件は、ダビデがサウルの追手から逃亡中に祭司アヒメレクの所に立ち寄って援助を受けたことを、サウルの家来エドム人ドエグが密告し、サウルの命令によって祭司一族を皆殺しにしたことです(1サムエル21-22章)。
この事件はダビデにとって非常に心を痛め、悪者ドエグに対する怒りを覚えさせるものであったと同時に、神様の恵みを確信させるものでした。サタンは「初めから人殺し」で「偽りの父」だと言われていますが(ヨハネ8:44)、ドエグは実に悪魔的です。ダビデを見つけても隠れたままで戦わず、密告することでサウルから褒美を得ようとし、他の家来のように神様を恐れることなく、町の祭司85人と男も女も幼子も家畜までも殺したのでした。正しい神様は、そのような悪者をそのままにはされません。たとえ地上で富み栄えても必ず打ち砕かれ、悪魔と共に永遠に滅ぼされます(黙20:10)。
ある意味でアヒメレクはダビデの身代りになったと言えます。なぜならダビデが偽って逃亡中であることを彼に言わなかったために、サウル王に呼び出された彼はダビデを擁護して王の怒りを買って殺されたからです。もちろんダビデはそのことを悔やんだでしょう。しかしそれ以上に彼は、神様の恵みによって自分の命が助けられたことを確信して感謝しました。私たちが救われたのも、イエス様が私たちの身代りになって神様の怒りを受けて十字架で死んでくださったからです(ローマ5:9)。私たちは自分の罪を神様の前に悔い改めますが、それ以上に神様の恵みによってすべての罪が赦されて永遠の滅びから救われたことを確信し、神様に感謝しましょう。
ダビデは逃亡生活をしながらも、魂は常に神様とつながっていました(詩16:8)。それで自分自身を「神の家にあるオリーブの木」に譬えています。私たちも常に神様の恵みに拠り頼み、神の家である教会につながり、常緑樹であるオリーブのように活き活きとした信仰生活を送りたいものです。
三谷 浩司 牧師