『私のいのちを支える方』(2023.8.27礼拝)

礼拝説教題『私のいのちを支える方』 詩篇54篇

【主題聖句】
見よ 神は私を助ける方。 主は私のいのちを支える方。(詩54:4)

「渡る世間は鬼ばかり」というTVドラマがありましたが、それは「渡る世間に鬼はなし」という諺をもじったものです。確かにこの世を見回すと、神様を信じない「鬼」のごとき無慈悲な者たちで溢れています(1ヨハネ5:19)。
この時のダビデもそうした状況の中に置かれていました。「ジブの人」はダビデと同じユダ族であったにもかかわらず、彼らは同胞であるダビデを彼のいのちを狙っているサウル王に売ったのです(1サムエル23:19)。もはや誰が味方で誰が敵であるか区別もつきません。いや四面楚歌の状態でした。


しかしダビデはどんな困難な状況の中にあっても、神様に対する絶対的信頼を失うことはありませんでした。救い主なる神様が必ず自分を助け、自分のいのちを守り支えてくださると、堅く信じて疑わなかったのです。 
それゆえダビデは「御名によって」祈りました。それは神様が「わたしはある(出3:14)」と言われる方、すなわち永遠に生きておられる天地万物の創造主にして全知全能なる絶対的主権者であり、どんな強い敵にも勝利し、報復される力強いお方であることを認めていたということです(出15:3)。


私たちクリスチャンも「イエスの御名」によって祈るように教えられています(マタイ16:24)。それはイエス様が私たちの罪のために十字架で死なれ、三日目によみがえられたことにより、死と悪魔に勝利されて私たちに罪の赦しと永遠のいのちを与えてくださった唯一の救い主であることを認めているからです(ローマ4:12)。そしてその御名を呼び求める者は誰でも救われるのです(ローマ10:13)。祈りこそ、あらゆる困難に対する勝利の秘訣です。


そしてダビデは祈ると同時に、祈りがすでに聞かれたと確信して神様に感謝し、御名をほめたたえています。それこそがダビデの信仰の真髄です。私たちもそのような信仰を持てるようになりたいと思います(1ヨハネ5:15)。


三谷 浩司 牧師