『重荷を主にゆだねよ』(2023.9.10礼拝)
礼拝説教題『重荷を主にゆだねよ』 詩篇55篇12-23節
【主題聖句】
あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。主は決して 正しい者が揺るがされるようにはなさらない。(詩55:22)
聖歌には「重荷」を題材にしたものが多くあります。それは私たち人間が日々様々な重荷を負って、悩みを抱えながら生きることが多いからです。
ダビデも身内や親友の裏切り、自分や家族の生命の危険、都を追われていつ帰れるかも分からない荒野の逃亡の旅といった抱えきれないほどの多くの重荷を抱えて、昼夜を問わず激しい悩み苦しみの中にありました。でも彼はそうした時に拠り頼むべき方、主なる神様を知っていたのです。だから自分自身に「あなたの重荷を主にゆだねよ」と言い聞かせています。
第一に、主は重荷を負って悩んでいる私たちのことを心配してくださるお方です(1ペテロ5:7)。全知全能なる主は私たちのすべての労苦を知っておられます。そして私たちの抱えている重荷が何であろうと、それを取り除くことのできる力あるお方です。だから私たちはいっさいの重荷と思い煩いを主に委ねればよいのです。そうすれば主が私たちを支えてくれます。
第二に、主は私たちの重荷を日々担ってくださるお方です(詩68:19)。ダビデは一日中嘆きをもって主に祈りました。すると「主は私のたましいを敵の挑戦から平和のうちに贖い出してくださる」と確信を込めた告白をしています。「贖い」とは代価を払って奴隷を買い戻すことですが、それは他者を救うために犠牲を払うことを意味します。私たちを苦しめる最大の重荷は罪です。イエス様はその罪を代わりに担って十字架で死なれたことで私たちの罪を贖い、日々重荷から解放して平安を与えてくださるのです。
第三に、主は重荷を負って疲れている人をすべて招いておられます(マタイ11:28)。この世に重荷のない人は一人もいません。だからこそイエス様はすべての人に平安を与えるために、ご自分がすべての人の罪の重荷を負われて十字架で死なれた上で、世界中のすべての人を招いておられるのです。
すべての重荷を主に委ねましょう。そうすれば人生は揺がされません。
三谷 浩司 牧師