『いのちの光のうちに歩む』(2023.9.17礼拝)

礼拝説教題『いのちの光のうちに歩む』 詩篇56篇

【主題聖句】 まことに あなたは救い出してくださいました。私のいのちを死から。

私の足をつまずきから。私がいのちの光のうちに神の御前に歩むために。(詩56:13)

表題の「ミクタム(黄金詩)」は16篇および56~60篇にありますが、それはダビデの信仰深さが特に際立っている詩篇につけられたものです。この56篇にも、宝石のように光り輝くダビデの信仰告白が見られます。

「遠くの人の、もの言わぬ鳩」の調べが示すように、サウル王に追われていたダビデは同胞のユダ族の人々にも裏切られたため(54篇)、遠い外国であるガテ人の地まで逃げました。ガテ人はイスラエルの敵のペリシテ人の部族であり、ダビデが倒したゴリアテもガテの出身でした(1サムエル17:4)。ダビデは素性がばれて殺されることを恐れて気が狂ったふりをして難を逃れましたが(1サムエル21:10-15)、どれほど惨めだったことでしょうか。

しかしそうした「心に恐れを覚える日」にダビデは神様に信頼しました。そして「肉なる者」は自分に何もなし得ないことを御言葉の約束によって確信し、恐れを克服したのです。神様が私たちの味方であるならば何者も敵対することはできず、どんな困難が押し寄せて来てもキリストにあって圧倒的な勝利者になれます(ローマ8:31-37)。だから恐れる必要はありません。

それだけでなく、ダビデは神様が自分のさすらいの苦悩をすべてご存じであり、嘆きの涙を一粒残さず受け止めてくださるお方だと信じました。それはダビデにとって大きな慰めでした。イエス様も私たちに同情され、流した涙をことごとくぬぐい取ってくださると約束されてます(黙7:17)。

最後にダビデは死の危険から救い出された理由を「いのちの光のうちに神の御前を歩むため」であると言っています。イエス様が私たちの全ての罪を赦して永遠の滅びから救ってくださったのも、「新しいいのちに歩むため」です(ローマ6:4)。それは私たちが御言葉の光に導かれて(詩119:105)、「真のいのちの光」である神様との交わりの中で生きることです(1ヨハネ1:7)。