『さばく神が地におられる』(2023.10.1礼拝)

礼拝説教題『さばく神が地におられる』 詩篇58篇

【主題聖句】

こうして人は言う。「まことに 正しい人には報いがある。まことにさばく神が地におられる。」(詩58:11

老子という人が「天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして失わず」ということわざを残しています。それは「天の網の目は一見粗いようだが、決して悪を見過ごすことはない」という意味です。この詩篇は「滅ぼすな」の表題のあるものの3番目ですが、ここでは悪者の滅亡が祈られています。

第一に、地上には権力者による悪と不正がはびこっているのが現実です。聖書は「力のある者」は「力のない人」の弱さを担うべきだと教えています(ローマ15:1)。しかし多くの人は権力を握ると弱い人たちを虐げ搾取します。それは彼らが生まれながらにして良心が腐敗している「罪人」であって、「耳の聞こえないコブラ」のように彼らの創造主である神様の御声に聞き従うことができないために、周囲の人々に平然と害毒を振り撒くのです。

第二に、そのような悪者に対する正しいさばきを祈り求めることです。「汝の敵を愛せよ」との御言葉は、悪者の悪や不正を見逃せということではありません。それは「善をもって悪に打ち勝つ」ことであり、それによって神様に復讐をゆだねるのです(ローマ12:19-20)。ただし悪者に虐げらている人々のために、神様が悪者を早く地上から消し去ってくださるように祈ることは間違っていません。そうでなければ弱者が先に滅んでしまいます。もしナチスが戦争に勝利していたら、世界はどうなっていたでしょうか。 第三に、神様は必ず地上の悪者たちをさばかれ、正しい者たちに報いを与えてくださいます。主にあって「正直者は馬鹿を見る」ことは決してありません。聖書は多くの箇所でそれを約束しています(箴10:3,6,7)。神様は最終的にすべての人を地上で生きていた間の行いに応じて正しくさばかれます(黙20:12)。その時、悪者は永遠の滅びの刑罰を受け、正しい人は永遠の御国に入れられるのです。地におられる「さばく神」を畏れましょう。

三谷浩司 牧師