『心が衰え果てる時』(2023.10.22礼拝)
礼拝説教題『心が衰え果てる時』 詩篇61篇
【主題聖句】
私の心が衰え果てるとき 私は地の果てから あなたを呼び求めます。どうか 及びがたいほど高い岩の上に 私を導いてください。(詩61:2)
「心が衰え果てる時」とはどんな時でしょうか?ダビデはこの時、最愛の息子であるアブサロム王子に謀反を起こされて、家族や家来たちを連れて命からがら王宮を脱出したのでした(2サムエル15章)。まさに「心が衰え果てる時」です。しかしダビデはそのような時だからこそ、より一層神様を呼び求め、神様に拠り頼むことで、この苦難を耐え忍ぶことができたのです。
第一に、私たちはどんな場所にいても神様に祈ることが大切です。ダビデは「地の果てから」と言っていますが、彼はエルサレムから80㎞離れたマハナイムにある荒野の草原まで逃げて行きました。しかしダビデは荒野でさえも「聖所」と呼んで、神様の臨在を覚えて祈ったのです(詩63:1-2)。私たちの内には聖霊なる神が住んでおられ、私たち自身が「神の宮」とされています(1コリント3:16)。だから、いつでもどこでも祈ることができます。
第二に、私たちはどんな困難な状況にあろうと、そこから必ず救い出すことのできる神様に信頼することが大切です。ダビデは敵が絶対に上って来れないような高い安全な場所に避難させて欲しいと祈りますが、それは神様の御元です。神様が共にいてくださるなら、いかに激しい困難の嵐の中に置かれようとも絶対に安全であり、必ず助け出されます(マルコ4:39)。
第三に、私たちは神様の御言葉の約束の実現を確信することが大切です。ダビデが必ず救い出されると信じ切ることができたのは、彼に与えられた「わたしの恵みを…彼からはそのように取り去ることはない」「彼の王座は、とこしえまでも堅く立つ」との御言葉の約束のゆえでした(1歴17:13-14)。イエス様は私たちに「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます(マタイ28:20)」「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない(ヘブル13:5)」と約束してくださっています。「心が衰え果てる時」でも御言葉の約束を固く信じ、御名をほめ歌い、主を喜び、主に仕えましょう。
三谷浩司 牧師