『主が家を建てるのでなければ』(2023.11.5礼拝)
礼拝説教題『主が家を建てるのでなければ』 詩篇127篇
【主題聖句】
主が家を建てるのでなければ 建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ 守る者の見張りはむなしい。(詩篇127:1)
この詩篇の背景はソロモンの神殿建設またはエズラの時代の神殿再建工事と思われますが、現代の教会建設にも適用することができるでしょう。
教会建設は主のご命令です。それゆえ教会は私たち人間が建てるのではなく、主ご自身が建ててくださるのです。教会とは「会堂」だけを意味しません。むしろキリストの体としての信徒の群れを意味します(1コリント12:27)。
もし神様抜きで人の知恵や努力で教会を建てようと思うなら、どんなに人数が増えて繫栄したとしても、それはむなしいのです。もし神様抜きで教会を守ろうと思うなら、どんなに頑張ってもその労力はむなしく終わることでしょう。もし神様抜きで教会の奉仕をするなら、どんなに一生懸命働いて人に認められたとしても、神様に認められなかったらむなしいです。そのように神様抜きでしたことは、すべてがむなしいのです(伝2:24-25)。
しかし主は、愛する者には眠っている間に必要なすべてのものを備えてくださいます。主ご自身が、教会を建て、教会を守り、奉仕のための力と知恵を豊かに与えてくださるのです(箴10:22)。私たちのすべきことは、その主に信頼し、主の御言葉に忠実に従うことだけです。そうすれば賜物また報酬として、神の子ども=救われる魂をたくさん与えてくださいます。
また主にあって幸いな家庭を築くことも非常に重要です。クリスチャンホームの子どもたちが信仰を持って霊的に成長するならば教会の大きな力となります。老若男女問わず教会の信徒一人ひとりは、悪魔およびこの罪の世と戦うための「勇士の手にある矢」です(イザヤ49:2)。「矢筒」すなわち教会がそのような「矢」=信仰深くて勇敢な信徒で満ちているならば、実に幸いです。きっといかに困難な試練であっても、必ず勝利することができるでしょう。もちろんその場合も、主が主権的にそうしてくださるのです。
三谷浩司 牧師