『義と平和は口づけする』(2024.8.18礼拝)

礼拝説教題『義と平和は口づけする』詩篇85篇

【主題聖句】

恵みとまことは ともに会い 義と平和は口づけします。(詩篇85:10)

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

戦国時代の武将上杉謙信は「戦うのは義を貫くため」と言いましたが、争いの多くは互いに自分の義を強く主張し合うことによって起こります。つまり「義」と「平和」は本質的に相反すると言えます。その二つが「口づけする」すなわち愛によって一つに結び合わさることは、人間には不可能なことであり、「恵みとまこと」を持ち合わせる神様だけがなせる働きです。
神様に対して不信の罪を犯したイスラエルの民は、神様の義によってさばかれ、七十年間のバビロン捕囚の憂き目に遭います。しかし神様はご自分の御民に恵みによる救いを施され、捕囚から解放して約束の地に帰還させられました。それは神様が約束に真実なお方であり(エレミヤ29:10)、ご自身で御民の咎を担われてすべての罪を覆われ、彼らに対する怒りをすべて収められて、彼らとの平和の関係を回復されたということです。
イスラエルの民は苦しい捕囚生活の中で自分たちの罪を深く自覚し、心から悔い改めました。そして彼らは主に恵みによる救いを求め、自分たちの所に帰って来て自分たちを生かしてくださいと、また自分たちが再び愚かさに戻らないように主の仰せを聞かせてくださいと祈ります。それは彼らが主にある敬虔な人、主を恐れる者となって御救いに与り、主の栄光と平和がいつまでも彼らの地にとどまるためでした(ルカ2:14)。
この詩篇はメシヤ預言と言えます。なぜなら「恵みとまこと」はイエス・キリストの十字架の死と復活によって完全に実現したからです(ヨハネ1:17)。罪なきキリストの身代わりの死によって神の義の要求はすべて果たされ(2コリント5:21)、罪人である私たちと神様との間に平和がもたらされました(エペソ2:14)。まさにキリストにおいて「義と平和」は口づけしたのです。主は天から見下ろされ、主を恐れる敬虔な人に良いものをくださいます。ゆえに私たちは「主の足跡」を道として神の義と平和を追い求めましょう。

三谷浩司 牧師