『かつての恵みはどこに?』(2024.9.29礼拝)

礼拝説教題『かつての恵みはどこに?』詩篇89篇38-52節

【主題聖句】

主よ あなたのかつての恵みは どこにあるのでしょうか。
あなたは 真実をもって ダビデに誓われたのです。(詩篇89:49)

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

この章の最後の部分は、神様は恵みと真実の契約を永遠にダビデと結ばれたはずなのに、なぜ契約が破られてユダは捕囚の憂き目に遭うのかという嘆きと疑問の叫びです。私たちもイエス様を信じて救われたのに、かえって苦難が激しくなることがあります。その意義を考察しましょう。
第一に、神様の救いの契約には「苦難」が盛り込まれています。聖書は救われたら苦難はすべてなくなるとは一言も語っていません。イエス様は弟子たちに「世にあっては苦難があります(ヨハネ16:33)」「人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたも迫害します(ヨハネ5:20)」と教えました。それは私たちが常に神様に拠り頼むためです。苦難がなければ私たちはすぐ神様の恵みを忘れてしまうことを神様はご存じです。ただし苦難はやがて必ず栄光に変えられます(ローマ8:18、2コリント4:17)。イエス・キリストの十字架の苦難の死とその後の復活の栄光が確実な証拠です(1ペテロ1:11)。
第二に、神様の契約が成就するまでは「忍耐」することが必要です(ヘブル10:36)。この詩篇に登場する王とはエホヤキンだと考えられています。彼は若くしてユダの王位に就きますが、わずか三カ月余りでバビロンに連れて行かれます(2歴36:9-10)。その数年後、エルサレムは神殿も城壁も破壊されて廃墟となります。しかしエホヤキンは37年後に釈放され、バビロン王の恩寵を受けました(エレミヤ52:31)。さらに70年後にはユダの捕囚民たちが解放されてエルサレムに帰還し、神殿と城壁が再建されました(エレミヤ29:10)。そのように神様の救いの契約は、破られたり一時的に停止しているように見えることがあっても、時が来れば必す成就します。
もしかすると私たちは、地上では神様の契約の成就を見ることができないかもしれません。しかし最終的で完全な契約の成就は天の御国です。私たちはそこにおいて、とこしえに主をほめたたえるのです。アーメン。

三谷浩司 牧師