『今日、もし御声を聞くなら』(2024.11.17礼拝)
礼拝説教題『今日、もし御声を聞くなら』詩篇95篇
【主題聖句】
今日 もし御声を聞くなら あなたがたの心を頑なにしてはならない。(詩篇95:7-8)
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
聖書は今から約2000~3500年前の大昔に書かれた書物です。それにもかかわらず、主なる神様は聖書を通して「今日」私たち一人ひとりに語り掛けてくださいます(ヘブル4:7)。なぜなら主は永遠に生きておられ、昨日も今日も変わらないからです(ヘブル13:8)。「今日」の御声を聞きましょう。
第一に、「今日」主に向かって喜び歌いましょう。主なるキリストは、十字架の贖いによって私たちを滅びから救い出されたばかりか、今日も私たちと共に歩まれて、「牧場の羊」である私たちを守り、養い、導いてくださっています。また日々私たちの重荷を担っておられます(詩68:19)。毎日そのことを覚えて、心から感謝と喜びをもって主を賛美しましょう。
第二に、「今日」主の御前にひざまずきましょう。主は天地万物を創造され、すべてを統治しておられる大いなる神、大いなる王です。ゆえに私たちは心の高ぶりを捨てて主の御前にへりくだり、ひれ伏し、ひざをかがめて礼拝するべきです。それが神に造られたすべての被造物の義務であり、そうする者に主は豊かな恵みを与えてくださいます(ヤコブ4:6)。
第三に、「今日」御声を聞いた時に心を頑なにしないようにしましょう。イスラエルの民は出エジプトという驚くべき救いの恵みを受けながら、荒野において水がない、食料がないと言ってつぶやき、心を頑なにして主に不信仰の罪を犯しました。そのため彼らは祝福を失い、40年間も荒野を放浪することになったのです。私たちは彼らと同じ失敗をしてはなりません。御声を聞いても従わないなら、私たちも祝福を失います。
毎日、聖書の御言葉を読みましょう。そして「今日」、主が語り掛けてくださった御言葉をしっかり心に留めて、聞き従いましょう。そうするなら、今日が「恵みの時、救いの日(2コリント6:2)」となるに違いありません。
三谷浩司 牧師