『苦しむ者の祈り①』(2025.1.12礼拝)
礼拝説教題『苦しむ者の祈り①』詩篇102篇1-11節
【主題聖句】
私の苦しみのときに 御顔を私に隠さないでください。 私に耳を傾けてください。 私が呼ぶときに すぐに私に答えてください。(詩102:2)
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
この102篇は伝統的に「悔い改めの詩篇」と呼ばれているものの一つです。前半1-11節の多くは他の詩篇やヨブ記からの引用で構成されています。また25-27節が新約のヘブル書に引用されていることから、「メシヤ詩篇」でもあります。ですから、この「苦しむ者」とは信仰者一人一人であると同時にイエス・キリストであるという理解をもって読む必要があります。
第一に、病による苦しみです。彼は発熱し、心はしおれ、食欲がなく、体はやせ衰え、命さえ尽きようとしていました(ヨブ19:20)。そんな極限の状態でも信仰者にはなおも待ち望むことのできる方がいます(詩43:5)。
第二に、孤独の苦しみです。病に冒された彼は親しい人にも見捨てられて誰にも助けてもらえませんでした(ヨブ19:19)。だから苦痛と不安で眠ることもできなかったのです。しかし神様は信仰者を決して見放さず、見捨てず、どんな時にも共におられて励ましてくださいます(申31:8)。
第三に、敵からのそしりによる苦しみです。彼は敵に名指しで嘲られ、日々生きるのが苦痛でした(ヨブ17:2)。敵である悪魔は信仰者の罪を昼も夜も神様の御前で訴えています(黙12:10)。しかし神の右の座におられるイエス様が私たちをとりなしてくださるので平安でいられます(ローマ8:34)。
彼はこれらの苦しみはすべて自分の罪に対する主の怒りによるもので、主に見捨てられたと感じました。同様にイエス様は、私たちの代わりに神様の怒りを受けられ、すべての苦しみを経験してくださいました(イザヤ53:3-4)。弟子たちに裏切られ、敵に嘲られ、鞭打たれ、父なる神にまで見捨てられて十字架で死なれたのです(マタイ27:46)。それゆえに私たちの弱さに同情することがおできになります(ヘブル4:15)。ですから私たちが苦しむ時、自分の心の弱さを主の前にすべて注ぎ出して祈りましょう。
三谷浩司 牧師