『喜ばしき救いの導き』(2025.3.23礼拝)

礼拝説教題『喜ばしき救いの導き』詩篇105篇24-45節

【主題聖句】

主は御民を喜びのうちに導き出された。その選ばれた民を 喜びの叫びのうちに。 (詩篇105:43)

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

105篇の後半部分は、イスラエルの民の出エジプトの出来事に見る神様の救いの奇しい御業についての賛美です。ここから神様の救いの御業がいかに完全で、民への配慮に満ちた幸いなものであるかを学びましょう。
第一に、神様の救いの前に必ず試練があります。なぜなら人は試練がなければ神様に助けを求めないからです。そういう意味では試練もまた神様の恵みです。エジプトに移住したヤコブ一族は神様の祝福を受けて百万人超の民族となったために、反乱を恐れたエジプトの王ファラオによって奴隷として苦しめられました。それでイスラエルの民が神様に叫び求めたことで、神様はモーセとアロンを遣わされたのです(出2:23-24)。
第二に、神様の救いは完全です。神様はイスラエルを苦しめた罰として十の災いによってエジプトを打たれました。またイスラエルの労役の代償としてエジプトから金銀を奪い取られました。さらには追って来たファラオの軍勢を紅海で全滅させられました。もはやイスラエルを苦しめる者はいなくなり、あとは約束の地を目指すだけでした。キリストも十字架の死と復活によって敵である死と悪魔を滅ぼしてくださったので(ヘブル2:14-15)、救われた私たちは、ひたすら天国を目指すだけなのです。
第三に、神様の救いには配慮が溢れています。神様は広大で恐ろしい荒野の旅を昼は雲の柱、夜は火の柱によって安全に導かれました。また天からのパンであるマナとウズラの肉によって彼らに日々糧を与えられ、岩から湧き出る水によって渇きを癒されました。そのように神様は神の子どもとされた私たちを守り、必要を満たしてくださいます(マタイ6:31-32)。
これらは神様がイスラエルをご自分の宝の民として愛され、喜ばれていることの証拠です(申7:6)。だからイスラエルも主を愛し、主を喜ぶのは当然のことです。新約の信仰によるイスラエルである教会も同様です。

三谷浩司 牧師