『選ばれた者たちの幸せ』(2025.4.6礼拝)

礼拝説教題『選ばれた者たちの幸せ』詩篇106篇1-12節

【主題聖句】

そのとき 私はあなたに選ばれた者たちの幸せを見 あなたの国民の喜びを喜びとし あなたのゆずりの民とともに誇ることができます。 (詩篇106:5)

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

106篇は、出エジプト~約束の地カナン定住までのイスラエルの民に対する神様の恵みとあわれみに満ち溢れたお取り扱いに関する賛美です。三回に分けますが、最初の部分からは神の選びの幸いについて学びます。
その幸いとは、神様はご自分の選びの民を救われるということです。神様は本来なら「さばきを守る人々、いかなるときにも正義を行う人」を救われます。しかしイスラエルは「罪を犯し、不義を行い、悪を行ってきた」にもかかわらず、選民であるがゆえに恵みによって救われたのでした。
実に彼らは神様の奇しいみわざによってエジプトの奴隷状態から救い出されて間もなく、神様の豊かな恵みをすっかり忘れて紅海のほとりで神様に不平不満を言って逆らいました(出14:10-12)。しかし神様は彼らの叫びを聞かれて、紅海の水を左右に分けて真ん中を乾いた地とされて彼らを進んで行かせると同時に、水を元に戻されて彼らを追跡してきたエジプトの王の全軍勢を全滅させられたのでした(出14:21-22、27-28)。
旧約のイスラエルは新約のクリスチャンの型です。私たちクリスチャンも罪人であるにもかかわらず、人となられた神の御子イエス・キリストの十字架の死と復活による罪の贖いという奇しいみわざにより、ただ信じるだけで救いの大いなる恵みを施された者です。それは神様が御心に従って、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと愛をもってあらかじめ定めておられたからだと聖書は教えています(エペソ1:5)。
これが「選び」と呼ばれるものです。なぜ選びが必要なのかというと、すべての人は罪人であるために選びがないと誰一人救われないからです(ローマ3:10-12)。神様が誰をどういう基準で選ばれるのかは誰にも分かりません。しかしイエス様を信じて救われた私たちは神様に選ばれていたことは確かです(1ペテロ1:2)。ただそのことを喜び、主に感謝しましょう。

三谷浩司 牧師