『のろいの詩篇』(2025.6.1礼拝)

『のろいの詩篇』詩篇109篇1-16節

【主題聖句】

彼がさばかれるとき 有罪が宣告され 彼の祈りが罪と見なされますように。(詩篇109:7)

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

この109篇は69篇(22-28節)と共に「のろいの詩篇」と呼ばれています。ダビデの作となっているので、のろう相手は彼の善や愛を悪と憎しみに代えて命をつけ狙ったサウルかアブシャロムと考えられますが、むしろ正しい者に対してゆえもなく悪を行うすべての人と、その背後にいる「偽りの父(ヨハネ8:44)」「告発者(黙12:10)」であるサタンだと言えるでしょう。
聖書で「のろい」は神の「祝福」の反意語として使われています(申11:26)。神様は人を創造された時に「祝福」されましたが、人が罪を犯したことによって、サタンと共に「のろわれた者」となってしまいました(創3:14)。すなわち「のろい」とは神の祝福を失い、有罪を宣告されて神のさばきを受けることです。そうなると神に祈っても聞かれることがなく、いかに高い地位を得たり、どれほど多くの財産を手にしたとしても、それらは死によってすべて他人のものとなります。ちなみに8節はイスカリオテ・ユダがイエス様を裏切って滅びたことの預言とされています(使1:20)。
ところで愛なる神と「のろい」は相容れないという人がいます。しかしイエス様はやがて王となられた時、ご自分を信じなかった人たちに「のろわれた者ども」と宣告されます(マタイ25:41)。神様は義なる方です。黙って悪をのさばらせる方ではありません。必ず正しいさばきをなされます。しかしそれは最終手段であって、神様は悪人が滅びるのを決して喜ばれません。むしろすべての人が罪を悔い改めて救われることを望んでおられるのです(エゼキエル33:11)。そして、そのために父なる神は罪のない御子キリストを罪人の代わりに十字架につけて罰せられたのです(2コリント5:21)。
そのように、この「のろいの詩篇」は神の愛と義、またいつくしみと厳しさの両方を明らかにしています。神様を偏り見ないようにしましょう。

三谷浩司 牧師