『主の御業は真実と公正』(2025.6.22礼拝)

礼拝説教題『主の御業は真実と公正』詩篇111篇

【主題聖句】

御手のわざは真実と公正 そのすべての戒めは確かである。(詩篇111:7)

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

111~113篇は「ハレルヤ(主[ヤハウェ]をほめよ)」から始まるために、「ハレルヤ詩篇」と呼ばれています。111と112篇では、主をほめたたえる理由が「いろは歌」の形式で歌われています。それは聖徒たちが暗記し、礼拝において心を尽くして主に感謝しつつ、みなで唱和するためです。
第一に、主の御業の偉大さです。何と言っても天地創造の御業は威厳と威光に満ちています。それを尋ね求める者の心は喜びに満たされます。また主は義をもって歴史に介入され、その奇しい御業を人々の心に刻まれました(詩18:9)。出エジプトしかり、キリストによる贖いしかりです。
第二に、主の情け深さとあわれみ深さです。主はご自分を恐れる者だけでなく、不信仰・不従順なイスラエルの民に天からのパンであるマナを与えられたように、悪人にも食べ物を与えてくださる方です(マタイ5:45)。しかし主はご自分を恐れて信じる者だけに、「天からのまことのパン」であるキリストにある永遠のいのちを与えてくださるのです(ヨハネ6:31-32)。
第三に、主の御業の真実と公正です。主はカナンの先住民を追い出されて、その地をアブラハムへの約束通りにイスラエルに与えられました(創15:18)。それを人間的な思いで残酷だとか不公平だとか言ってはなりません。主のなさることは人間の理解を超えていますが、すべてが真実で正しいのです。その証拠に主はアダムが最初に罪を犯したときの約束を違えず(創3:15)、罪人を滅びから贖うためにイエス・キリストを救い主として地上に送ってくださり、十字架で磔刑にして死なせられたのです。
最後に主を恐れることが勧められています(箴1:7)。主を恐れるとは、主の御言葉に聞き従い、それを守り行うことです(申28:1)。そうすれば私たちは賢明さを得る、つまり主の御心に沿って物事を正しく判断して幸いな人生を全うすることで、主の栄光と誉れは永遠に堅く立つのです。

三谷浩司 牧師