『主の義は永遠に堅く立つ』(2025.6.29礼拝)

礼拝説教題『主の義は永遠に堅く立つ』詩篇112篇

【主題聖句】

彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。 彼の義は永遠に堅く立ち 彼の角は栄光のうちに高く上げられる。(詩篇112:9)

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

この詩篇は第1篇と同様に「幸いな人」とはどんな人であるか(詩1:1-2)、その人には神様からどのような祝福が与えられるかが教えられています。
第一に、「主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人」です。111篇でも学んだように「主を恐れる」とは主の御言葉に聞き従うことです。それを義務的でなく、正しく直ぐな心で大いに喜んで実行するのです。なぜそうするかというと、主は「情け深く、あわれみ深く、正しくあられる」方であり、「光が闇の中から輝き昇る」ように主の御言葉は完全で力があり(詩19:7)、罪人の魂をあらゆる悩み苦しみの中から回復させることができ、考えの浅はかな者に知恵を与えて賢くしてくださることを知っているからです。
第二に、「情け深く、人に貸し、自分に関わることを公正に扱う人」です。それは、その人自身が主からそのようにしていただいたからです。主があわれんでくださったから隣人をあわれみ、主が愛してくださったから隣人を愛し、主が赦してくださったから隣人を赦せるのです(コロサイ3:13)。そしてキリストを模範として生きるように造り変えられます(エペソ2:10)。
そのような人に対する神様の祝福とは、その人も家族も地上において信仰の勇士となり、その家庭は愛・喜び・平安といった霊的な富で豊かに繫栄することです。またその人はどんな困難な状況の時でも主に信頼し、揺るがされることはありません。悪魔がどれほど強い誘惑や試練で攻撃してきても、堅固な心で御言葉によって退けることができます(マタイ4:10)。
もし私たちがそのように「幸いな人」となったとしても、決して自分を誇ってはなりません。すべては神様の恵みであり、キリストが十字架で死なれて惜しみなくいのちを分け与えてくださった贖いの御業によって与えられたものだからです。私たちではなく、主の義だけが永遠に堅く立ち、主の御名だけが栄光の内に高く上げられるのです(ピリピ2:8-9)。

三谷浩司 牧師