『私たちの神は天におられる』(2025.7.20礼拝)
礼拝説教題『私たちの神は天におられる』詩篇115篇1-9節
【主題聖句】
私たちの神は 天におられ その望むところをことごとく行われる。(詩篇115:3)
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
私たちは祈る時、「天にいます私たちの父よ」と呼びかけます。それは「主の祈り」でそう祈れと教えられているからですが(マタイ6:9)、私たちの信じている唯一まことの神様がどのような方なのかを告白するものです。
第一に、まことの神様は天におられて目に見えません。聖書の教える「天」とは神様のおられる目に見えない霊的な領域のことです。見えないから信じないという人もいます。しかし見えるものは、すべて見えないもの、すなわち霊なる神様によって造られ、存在しているのです(ヘブル11:3)。また神様は霊であるからこそ、無限であり、永遠に生きておられ、遍在されるのです。しかし目に見えない神様が一度だけ目に見える姿で地上に来られました。それが人となられた神の御子イエス・キリストです(ヨハネ1:14)。それは私たちを罪による滅びから救うための非常手段でした。
第二に、目に見える地上の神々と呼ばれるものはすべて偶像です。罪によって堕落して心が暗くなった人間は、まことの神様が分からなくなってしまいました。そのため人間は自分の欲望を満たしてくれる存在を自分の神すなわち偶像を作って拝むようになったのです(ローマ1:21,23,25)。しかし偶像は見ることも、聞くことも、話すことも、嗅ぐことも、触ることも、歩くこともできません。そのようなものがどうして人間を救ったり幸福にしたりすることができるでしょうか。偶像に頼る者は本当に愚かで、空しい人生を送ることになります。それゆえ神様は偶像を造ることも拝むことも、十戒において厳しく禁じられたのです(出20:4-5)。
第三に、私たちはまことの神様だけに頼り、その御名に栄光を帰さなければなりません。それが私たち人間が造られ、存在し、また救われた理由です。そうして私たちが祈るなら、神様は御心を天で行われるように、地上でも望むところをことごとく行ってくださるのです(マタイ6:9-13)。
三谷浩司 牧師