『私は主に何と応えようか』(2025.8.10礼拝)

礼拝説教題『私は主に何と応えようか』詩篇116篇9-19節

【主題聖句】

主が私に良くしてくださったすべてに対し 私は主に何と応えたら よいのでしょう。(詩篇116:12)

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 116篇の前半では、主が私たちを愛し、私たちにことごとく良くしてくださったことを学びました。その主に対して私たちが何かお返ししたいと思うのは当然のことです。むしろそう思わないなら「恩知らず」と言わるでしょう。では、私たちは何をもって主に応えたら良いのでしょうか。
 第一に、この罪の世にあって主の御前を歩み続けることです。それはどんな状況においても主に信頼し、目に見えるものを恐れて世の偽りの教えに流されず、御言葉に聞き従って歩むことです。ノアは、堕落して暴虐に満ちた世代の中にあって、ただ一人神様と共に歩みました(創6:9)。
 第二に、救いの杯を掲げて主の御名を呼び求めることです。すなわち自分が救われていることを心から喜び、それを祈りと賛美ときよい生活によって多くの人々に大胆に証することです。それが「世の光」としての私たちクリスチャンに与えられている大切な役割なのです(マタイ5:14-15)。
 第三に、自分の誓いを主に果たすことです。水のバプテスマは「神に対して行う誓約」です(1ペテロ3:21)。バプテスマを受けた時、主のしもべとして教会を通して主に仕えること、また互いに愛し合い仕え合うことを主と会衆の面前で誓いました。その誓いを忘れず誠実に果たしましょう。 
 第四に、主に感謝のいけにえを献げることです。旧約時代のいけにえとは牛や羊などの家畜あるいは穀物などの収穫物、すなわち財産でした。私たちを救うためにいのちまで捨ててくださった主への感謝を、自分の持てるものに応じて喜んで献げることを聖書は勧めています(2コリント8:12)。
 そうした主の愛に応える人生を最後まで全うした人は「聖徒」と呼ばれ、その人の死は主の前に尊いとみなされるだけでなく、多くの人に対する模範また証しとなります。私たちもそのような生涯を全うしましょう。

三谷浩司 牧師