『みことば詩篇』(2025.9.7礼拝)

礼拝説教題『みことば詩篇』 詩篇119篇1-8節

【主題聖句】

幸いなことよ 全き道を行く人々 主のみおしえに歩む人々。(詩篇119:1)

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

 この119篇は詩篇(聖書)の中で最も長い篇(章)で、8節ずつが一段落になっており、22段落で計176節になります。また22文字のヘブル語のアルファベットを各段落の節の頭文字にする技巧を凝らした「いろは歌」になっています。中心的テーマは「神のみことばへの愛」で、ほぼ全部の節に「みことば」に関連する多種多様な言葉が使われているのが特徴です。 
 1-8節は「ℵ(アレフ)」から始まります。「幸いなことよ(○ヘアシュレー)」はイエス様の山上の説教の「幸いです(○ギマカリオス)」と同じです(マタイ5:3)。どちらもこの世の価値観ではなく、神の価値観による真の幸福を教えています。それではここで教えている「幸いな者」とはどんな人でしょうか。 
第一に、「主のみおしえに歩む人」です。この「みおしえ(○ヘトーラー)」は「律法」のことです。神の律法は人間が幸福に生きるための完全な道を教えてくれるものです(エレミヤ6:16)。なぜなら御言葉は完全で純粋であり(詩18:30)、私たちを造られた全知全能の創造主なる方の知恵だからです。
第二に、「心を尽くして主を求める人」です。その人は強いられたり、いやいやながらでなく、主を愛するがゆえに自ら進んで主の定めに従います(1ヨハネ5:3)。そういう人は不正を行わず、主の喜ばれる道を歩みます。
第三に、自分に主の戒めを堅く守る力がないことを知っており、主に拠り頼む人です。そうすれば内住しておられる主の御霊の助けによって、主の戒めを守り行うことができます。主はご自分に拠り頼む者を決して見捨てられないので(詩9:10)、戒めを守れずに恥じることはありません。
第四に、主の「義のさばきを学ぶ」人です。イエス様は「神の国と義」を第一に求めれば、すべてが与えられると言われました(マタイ6:33)。しかし御言葉を学ばずして、どうして神の義を知ることができるでしょうか。学べば学ぶほど多くの祝福を与えられ、主への感謝も増し加わるのです。

三谷浩司 牧師