『空しいものから目をそらす』(2025.10.5礼拝)

礼拝説教題『空しいものから目をそらす』 詩篇119篇33-40節

【主題聖句】

むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を 生かしてください。(詩篇119:37)

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

 第五段落は「ה(ヘー)」から始まります。前の段落に続いて「道」の語が出て来ます。英語の聖書では「Teach me(私に教えてください)」から始まっていますので、ここから信仰の道を歩む上で大切なことを教わりましょう。
 第一に、自分の心をいつも御言葉に傾けることです。そうでなければ罪深い私たちは正反対の方向のこの世の悪と不正な利得にすぐに傾いてしまいます(創6:5)。そうならないために、主の御言葉を常に慕い求め、御言葉から目を離さず、生涯が終わるまで心を尽くして守り続ける決心をしましょう。もしそうするならば、主が必ず助け導いてくださいます。
 第二に、空しいものから目をそらすことです。この世には私たちの目に入って心を誘惑するものが溢れています。そうしたものを見続けると心が奪われ、罪の道を歩むことなります(2サムエル11:2)。そうならないために大事なのは目をそらすことです。ヨブは情欲の罪を犯さないために、「自分の目と契約を結んだ」と言いました(ヨブ31:1)。弱い私たちにはそうする力がないかもしれません。だからこそ主に頼り、助けを祈るのです。
 第三に、主を恐れて悪から遠ざかることです(ヨブ28:28)。私たちが罪を犯す場合の多くは主への恐れが欠如している時です。その罪の行為を主がどれほど忌み嫌われ悲しんでおられるか、またその罪のために神の御子キリストが十字架で死んでくださったことを明確に意識するならば、「もう罪を犯すまい」という強い意志を持つことが可能でしょう(ヨハネ5:14)。そうすればサタンを初めとする悪の力に対する恐れも取り去られます。
 この世のはかない罪の楽しみにふける空しい生き方をせずに、むしろモーセのように神の義のため、福音のために生きましょう(ヘブル11:25)。そのような道を踏み行くならば、それこそクリスチャンの喜びの道です。

三谷浩司 牧師