『主は私への割り当て』(2025.11.9礼拝)

礼拝説教題『主は私への割り当て』 詩篇119篇57-64節

【主題聖句】

主は私への割り当てです。 私は あなたのみことばを守ると申し上げました。(詩篇119:57)

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

 第八段落は「ח(へ-ト)」で始まり、冒頭の単語は「割り当て(㋬ヘレク)」です。イスラエルの中で祭司やレビ人は土地の相続地(㋬ナハラー)を持たない代わりに、神ご自身が彼らの「割り当て」だとされています(民18:20)。 新約の万人祭司である私たちクリスチャンも同様です。それがどれほど私たちに好ましく、すばらしい恵みであるかを学びましょう(詩16:6)。
 第一に、私たちへの割り当ては「尽きることのない主のあわれみ」です(哀3:22-24)。私たちは本来神様のあわれみを受ける資格のない者です。しかし主は恵みにより御言葉の真実の約束によって私たちをあわれまれ、御子キリストを救い主として遣わしてくださいました。そしてイエス様を信じた者を決して捨てず、滅ぼすことはなさらないのです(申4:31)。
 第二に、私たちへの割り当ては「約束された永遠の資産を受け継ぐ」ことです(ヘブル9:15)。それゆえ私たちは主の割り当てで満足し、この世の空しいものに心を奪われてはなりません。もし私たちの足がそのような暗闇の方に向いていたなら、ためらわずに御言葉が指し示す光の方へと向きを変えましょう。また「悪しき者」すなわち悪魔の誘惑の綱が私たちに巻き付いたなら、すぐに御言葉の剣によってそれを断ち切りましょう。
 第三に、同じ「割り当て」を持つ仲間たちとの交わりが豊かにあります。「恵み(㋬ヘセド)」は「契約に基づく愛」という意味がありますが、イエス様を信じて救われた私たちクリスチャンは、新しい契約の中に入れられて「互いに愛し合う者」とされました(ヨハネ13:34)。世界中のあちらこちらにそうした交わりが満ちているのです。実に私たちの教会もその一つです。 
 「主が私への割り当て」であることは本当に幸いです。この特権をいただいていることを忘れず、主と主の御言葉に従って歩み続けましょう。

三谷浩司 牧師