『御言葉は私の喜び』(2025.11.23礼拝)

礼拝説教題『御言葉は私の喜び』 詩篇119篇73-80節

【主題聖句】

どうか あわれみを私に臨ませ 私を生かしてください。 あなたのみおしえは 私の喜びです。(詩篇119:77)

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

 第十段落はヘブル語アルファベットの最小文字「י(ヨード)」で始まります。この文字は「ヤハウェ」のように重要な単語に使われており、イエス様も「一点一画も決して消え去ることはない(マタイ5:18)」と言われました。この文字で始まる三つの単語から御言葉を喜びとする恵みを学びましょう。
 第一に、御言葉の通りに主の「御手(ヤーデー)」によって形作られる喜びです。神様は御言葉でこの世界を創造され(創1:1,3)、語られた御言葉は必ず実現します(イザヤ5:11)。神様はイエス様を信じた私たちを御言葉の通りに救い、新生させ、人生を最善に形作ってくださいます(2コリント5:17)。主に形作られる人生はしばしば痛みを伴いますが、それは私たちを霊的に整え、主の似姿へと変えるためです。私たちが主の御手に完全に委ねるならば、その人生は決して揺るぐことがなく、大きな喜びとなります。
 第二に、御言葉を「待ち望む(ヤーハル)」喜びです。たとえ現状が困難であっても、神様は必ず私たちを御力によって守られ、最終的に天の御国に入れてくださると約束されています(1ペテロ1:5)。この約束を疑わずに待ち望むならば、私たちは絶望することはありません。私たちが喜びをもって約束のものを手にするためには、忍耐が必要です(ヘブル10:36)。「ヤーハル」とはただ待つことではなく、信仰をもって積極的に神の時を期待することです。この忍耐の先に、確かなる喜びが待っています。
 第三に、御言葉を「知る(ヤーダー)」喜びです。神様は御言葉の約束によって、折りに適って私たちを慰め、励ましてくださいます(詩119:50)。私たちが御言葉を知り、それに従って歩むならば、困難の中にあっても揺るがない平安と祝福を得ることができます。この「知る」とは、単なる知識ではなく経験によるものです(ホセア 6:3)。御言葉の真実さを深く知れば知るほど、私たちの喜びは大きくなり魂は真に満たされていくのです。

三谷浩司 牧師