『煙の中の皮袋』(2025.11.30礼拝)
礼拝説教題『煙の中の皮袋』 詩篇119篇81-88節
【主題聖句】
たとえ煙の中の皮袋のようになっても 私はあなたのおきてを忘れません。(詩篇119:83)
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
第11段落は「כ(カーフ)」で始まります。81、82節の最初の単語は「カーラー(絶え入る)」ですので、作者は彼を迫害する者たちによって絶体絶命の状況であったことが分かります(84-87)。しかしそのような中で、彼の魂と目は主の救いと御言葉を「絶え入る」ほどに慕い、待ち望んだのです。
83節では「煙の中の皮袋」という非常に特徴的な表現がなされています。「皮袋」は山羊などの動物の皮を丸はぎにして縫って袋状にしたもので、これに水やぶどう酒を入れて担いで運ぶのに用いられました(創21:14)。それが暖炉のそばや台所などの煙が充満した場所に放置されると、熱と乾燥によって皮が硬化して黒ずみ、もはや使い物にならなくなります。
その「煙の中の皮袋」にようになっているとは、彼が神の御教えに従わない高ぶる者たちに迫害され、すぐにでも命を奪われそうな状況でありながら、主に助けを願い求めてもなかなか聞かれないで放置されているために、彼の心身が疲れ果てて弱りきっている極限状態を表しています。
それでもなお、彼は必死の思いで「絶え入る」ばかりに主に祈り訴えています。そして「煙の中の皮袋」のようになっても、なおも主の御言葉の約束を忘れず、それらがことごとく真実であることを堅く信じて、主の恵みによって自分のいのちを助けて生かしてくださいと祈り続けました。
私たちも大きな困難に遭遇し、それが長く続いて解決の糸口も見出せないとしたら、「煙の中の皮袋」のようになってしまうでしょう。しかしこの作者のように御言葉の約束への信頼を最後まで堅く持ち続けることができるなら幸いです。主はご自分に信頼する者を決して失望させられることのない方ですから(ローマ10:11)、あきらめずに祈り続けましょう。そうすれば必ず主は私たちを恵みによって助け、生かしてくださいます。
三谷浩司 牧師

