『私を生かしてください』(2026.2.8礼拝)

礼拝説教題『私を生かしてください』 詩篇119篇153-160節

【主題聖句】

ご覧ください。どんなに私があなたの戒めを愛しているかを。 主よ あなたの恵みによって 私を生かしてください。(詩119: 159)

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

 第20段落は「ר (レーシュ)」で始まります。153,150節の冒頭は「ラアー(見る)」です。サラの女奴隷ハガルは困難の中にある自分を顧みて救ってくださった神様の名を「エル・ロイ(私を見ておられる神)」と呼びました(創16:13)。作者もまた自分の困難な状況を神様が見て顧みて欲しいと、そして敵から助け出して「生かしてください」と三度も嘆願しています。ここから私たちが真に生かされるための根拠とは何かを学びましょう。
 第一に、罪の贖いによって生かされます。私たちは本来、神を知らず神のいのちから遠く離れて「自分の背きと罪の中に死んでいた者」でした(エペソ4:18,2:1)。それゆえ私たちが生かされるためには、まずキリストの血による贖いによって罪の赦しを受ける必要があるのです(エペソ1:7)。
 第二に、神のあわれみと恵みによって生かされます。福音に従わずに生きてきた私たち罪人は「永遠の滅びの刑罰」を宣告されており(2テサロニケ1:8-9)、そもそも贖われて生かされる資格のない者でした。しかし神はそのような私たちを可哀そうに思われてあわれんでくださり、一方的な恵みによって救い、キリストと共に生かしてくださるのです(エペソ2:5)。
第三に、御言葉の定めによって生かされます。イエス様は「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる(マタイ4:4)」と言われました。それは私たちが御言葉の約束を信じて従うことによって霊的ないのちで生かされるということです。そして私たちが、私たちを愛して私たちのためにご自分のいのちまで与えてくださった御子イエス様に対する信仰によって生きる時、もはや私たちが生きているのではなく、キリストが私たちのうちに生きてくださるのです(ガラテヤ2:20)。
 「私を生かしてください」と主に祈ると共に、死者の中から生かされた者として自分自身を献げ、「義の道具」として用いられましょう(ローマ6:13)。

三谷浩司 牧師