『平和への希求』(2026.3.1礼拝)

礼拝説教題『平和への希求』詩篇120篇

【主題聖句】

私が 平和を──と語りかければ 彼らは戦いを求めるのだ。(詩120:7)
                        

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

 120~134篇までは表題に「都上りの歌」とあります。これらはバビロン捕囚で離散したユダヤ人たちがエルサレムに巡礼する際に歌ったものと考えられます。その多くが困難な状況の嘆きと主に信頼した祈りです。
この詩篇の作者は主にあって「平和を愛する人」でした。しかし寄留地に住んでいた彼の周囲は真の神を知らない異教徒だらけであり、彼らは「平和を憎む者」だったのです。彼がどんなに平和を求めても彼らは常に戦いを求めたために、苦しみと嘆きの中に久しく置かれていたのでした。
今の時代の私たちクリスチャンも同じです。イエス様を信じて救われた私たちは、その十字架の血によってもたらされた神との平和をもっており(ローマ5:1)、神の子どもとして「平和をつくる者」とされて(マタイ5:9)、すべての人との平和を追い求めるように命じられています(ヘブル12:14)。
しかし私たちの周囲は主を知らない不信者だらけであり、平和よりも争いや不正を愛する人が多いのが事実です。そして「わたしの名のために、すべての人に憎まれます(ルカ21:17)」とイエス様が言われたように、もし私たちが主にあって平和と義を愛するなら、世から迫害を受けるのです。
 作者は「私のたましいを 偽りの唇 欺きの舌から 救い出してください」と祈っていますが、それはただ敵の迫害から守ってくださいという祈りではなく、彼らに触発されて自分自身が「争う者、復讐する者」となることがないようにとの祈りだと思います。そしてその祈りの答えとして、主ご自身が確実に彼らに復讐してくださると信じたのでした(ネヘミヤ4:4)。
私たちも自分で復讐するのではなく主に委ねると同時に(ローマ12:19)、イエス様を模範として自分の敵をも愛し、祈ることによって(マタイ5:44)、いついかなる時にも平和を望み、追い求める者でありたいと思います。

三谷浩司 牧師