『私の助けはどこから来るのか』(2026.3.15礼拝)

礼拝説教題『私の助けはどこから来るのか』詩篇121篇

【主題聖句】

私は山に向かって目を上げる。私の助けは どこから来るのか。私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。 (詩121:1-2)
                        

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

 困難な状況に置かれて解決の道がなかなか見い出せない時、「私の助けはどこから来るのか?」という叫びが心の中から出てきます。しかし聖書を読む人は幸いです。なぜならその答えが明確に書かれているからです。
 「私の助けは主から来る」それが答えです。主は「天地を造られたお方」であり、全知全能にして無限・永遠・遍在なる方です。また完全にきよく正しい方であると同時に愛とあわれみに満ちた方であり、いついかなる災いからもご自分に拠り頼む者を守ることがおできになる方です。このような方を「私の神、私の救い主」と知っている人は何と幸いでしょうか。
 この詩篇の作者はその方を知っていました。だから「山に向かって目を上げ」たのです。この「山」は「シオンの山」すなわちエルサレムです。そこには主の宮があり、主はそこを住まいとされました(詩74:2)。ダニエルも遠いバビロンの地から、日に三度、窓を開けてエルサレムに向かって祈りました(ダニエル6:10)。その祈りはイスラエルの贖いのためでしょう。
 私たちクリスチャンが見上げるべき「山」は「カルバリ山」です。そこでイエス様は私たちの身代わりに十字架にかかって死なれました。それを見る度に私たちの罪の負債証書は釘付けにされて無効となり(コロサイ2:14)、すべての罪が赦されていることを覚えるのです。今イエス様は十字架の上にはおられません。死より三日目によみがえられて天に戻られました。やがてすべての人は天から雲に乗って来られるイエス様を見上げることになります。その時、主を信じている人々は栄光のからだに変えられて救いの完成の喜びに満たされます(1テサロニケ4:16-17)。しかし信じていない人々は神の怒りのさばきが始まることを知って嘆き悲しむのです(黙1:7)。
 日々イエス様を見上げましょう。そうすれば救われていることを確信でき、主の守りの内に生かされていることを喜べ、平安は揺らぎません。

三谷浩司 牧師