『みなしごの父、やもめのさばき人』(2024.1.14礼拝)

礼拝説教題『みなしごの父、やもめのさばき人』詩篇68篇1-10節

【主題聖句】

みなしごの父 やもめのためのさばき人は 聖なる住まいにおられる神。(詩篇68:5)

この68篇はメシヤ預言の詩篇であり、18節は新約聖書のエペソ書で引用されています(エペソ4:8)。ダビデが神の契約の箱をエルサレムに運び入れた時のものと考えられており(2サムエル6:12)、出エジプトからこの時に至るまでのイスラエルの歴史の中で、神様がどれほどご自分の民を愛とあわれみをもって扱われたかが歌われています。三回に分けて学びます。

第一に、神様は弱いイスラエルを守られ、敵を追い払ってくださいました。あの強大なエジプトのファラオの軍隊は神様の偉大な御力により紅海で滅び失せました。イスラエルは周辺諸国に比べて兵力が少なく、武器もわずかでしたが、神様が共におられたから、それらを持たずともダビデはあの巨人ゴリアテをも倒すことができたのです(1サムエル17:50)。

第二に、神様は社会的弱者を顧みられました。イスラエルは常に周辺諸国と戦っていたため多くの男性が戦死し、みなしご、やもめとなって孤独に生きざるを得ない人がたくさんいました。神様はそうした者たちの保護者となられて、守り養われることを約束しておられます(申10:18)。

第三に、神様は恵みをもって荒野に雨を降らせて、飢え渇く者たちを食物と喜びで満たされました(使14:17)。それは物質的なものだけでなく、御言葉によって彼らの心も霊も満たしてくださったのでした(出31:18)。

同様に父なる神様は弱い私たちを守り養い、身も心も喜びで満たしてくださいます。そして私たちを決して見捨てず、孤児とされません(ヨハネ14:18)。だから私たちには自分より弱い立場の人たちを顧み、愛とあわれみをもって世話をする責任があるのです(ヤコブ1:27)。その責任を良く果たして、やがてイエス様が雲に乗って私たちを迎えに来られる時(4)、「よくやった。良い忠実なしもべだ(マタイ25:21)」と言ってもらいましょう。

三谷浩司 牧師