『日々重荷を担われる方』(2024.1.21礼拝)

礼拝説教題『日々重荷を担われる方』詩篇68篇11-23節

【主題聖句】

ほむべきかな 主。 日々 私たちの重荷を担われる方。 
この神こそ 私たちの救い。(詩篇68:19)

11節からは、イスラエルのカナン入植以降に与えられた神様の恵みについて歌われています。それは私たちクリスチャンの地上での信仰生活において神様が与えてくださる恵みの数々に当てはめることができます。

第一に、主は私たちに御言葉を与えてくださいます。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きる(申8:8)」とあるように、神様は私たちを御言葉の約束によって慰め、励まし、勇気づけてくださると共に、御言葉を守り行う者を豊かに祝福されて、活き活きとした勝利ある信仰生活を歩ませてくださいます(ヨシュア1:7、9)。

第二に、主は永遠に私たちと共に住まわれます。バシャンの山々とはヘルモン山(30㎞以上に及ぶ連峰、最高峰は海抜2800m)のことであり、イスラエル全体を見下せますが、神様は標高800mのシオンの山すなわちエルサレムを選ばれてご自分の永遠の住まいとされました。なぜなら、神様は人が登れない高い山ではなく、神の民が集まって礼拝する場所に住まわれるからです。そこは今はキリストのからだである教会であり、やがて地上の教会は天上のエルサレムに引き上げられます(ヘブル12:22)。

第三に、主は日々私たちの重荷を担われます。たとえ救われていても、神様が共におられても、地上にいる限り日々重荷はのしかかってきます(2コリント5:4)。もしそれを自分で負い続けるなら疲れ果てて倒れてしまうでしょう。だからイエス様は私たちをご自分のもとに来るように招いておられます(マタイ11:28)。そして神様は重荷どころか、私たちを背負って運ばれ(イザヤ46:4)、悪魔を滅ぼして罪と死から救い出してくださいます。

そのようなお方が私たちの神、救い主なのです。このお方が共にいてくださることを喜び、賛美し、御言葉に従って豊かな祝福を得ましょう。

三谷浩司 牧師