『主は聖なる方』(2024.12.15礼拝)
礼拝説教題『主は聖なる方』詩篇99篇
【主題聖句】
大いなる 恐れ多い御名をほめたたえよ。 主は聖なる方。(詩篇99:3)
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
この詩篇では「主は聖なる方」が三回も繰り返されています(3,5,9節)。これは最高位の天使セラフィムによる「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主(イザヤ6:3)」「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者(黙4:8)」との賛美に呼応するものであり、神様の最も重要な本質を言い表しています。
第一に、聖なる方である主は大いなる至高の存在であり、万物の絶対的支配者です。「聖」と訳されたヘブル語は「コーデシュ」で、他のすべてのものと区別・分離されており、比べ得るものがなく超越していることを意味します。最高位の天使であるケルビムの上に座しておられることは、目に見える存在だけでなく目に見えない霊的な存在も創造し、かつ支配しておられるということです(コロサイ1:16)。それゆえすべての被造物は、創造主なる主を崇め、その御名をほめたたえるべきなのです(詩103:22)。
第二に、聖なる方である主は力と正義をもって公正にさばきを行われます。主は人類に「誤りのない唯一の神のことば」である聖書を与えられ、善と悪の基準を示されました。その聖書に書かれていることに従って、すべての人は自分の行いに応じてさばかれます(黙20:12)。どんな小さな悪をも主は見逃されません。そして主を信じない悪しきわざに対しては、永遠の滅びの刑罰をもって報復されるのです。ゆえにすべて罪ある人は主を恐れおののいて、その足台のもとにひれ伏さなければなりません。
第三に、聖なる方である主は罪を赦す権威を持たれています(マルコ2:10)。なぜならイエス様は唯一罪のない方であり、私たちの代わりに十字架にかかって死なれて、とりなしの祈りをささげられたからです(ルカ23:34)。それゆえイエス様を信じて罪を赦された者は「聖徒」として歩まなければなりません(レビ20:26)。それはこの罪の世から区別・分離された者として、世と調子を合わせずに御言葉に従ったきよい生活することです(ローマ12:2)。
三谷浩司 牧師