『全き道に心を留めよ』(2025.1.5礼拝)

礼拝説教題『全き道に心を留めよ』詩篇101篇

【主題聖句】

私は 全き道に心を留めます。いつあなたは 私のところに来てくださいますか。私は家の中を 全き心で行き来します。(詩101:2)

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

この詩篇101篇のフランシスコ会訳のタイトルは「若き王の決心」です。「一年の計は元旦にあり」と言われますが、ぜひ新年の始まりに「全き道に心を留める」ことを決心して欲しいと思います。それがこの一年、どこに行き来するにも、何をするにも、安全かつ幸いに過ごす秘訣だからです。
では「全き道」とは、どのような道なのでしょうか。旧約聖書のノアやアブラハムは「全き人」と呼ばれています(創6:9,17:1)。彼らは道徳的に決して完全ではありませんでした。しかし神様に信頼することにおいて彼らは「全き人」だったのです(ヘブル11:7、創15:6)。それゆえ「全き道」とは、いかなる時も神様に信頼し、神様の御言葉に従って生きる道と言えます。その道に心を留める、すなわち心を真っ直ぐに向けて固定するのです。神様は、そうする人といつも共におられ、祝福し、守ってくださいます。
「全き道」を歩むために大切なことは、第一に、自分の目の前に卑しいことを置かないことです。それは神様の目に悪である曲がった欲望です(1ヨハネ2:16)。それに目を向けるなら、弱い私たちはすぐに誘惑されます。実際ダビデ王は、バテ・シェバの裸に目を留めて姦淫の罪を犯しました。第二に、おごり高ぶる心を捨てることです。なぜなら神様は「高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる(1ペテロ5:5)」からです。第三に、人を欺いたり偽りを語らないことです。偽りは悪魔の本性であり(ヨハネ8:44)、真理に立たない者は神様の前に堅く立つことはできません。第四に、朝ごとの祈りによって、聖霊の宮である自分の中の悪しき罪を内なる御霊の助けにより滅ぼし、ことごとく断ち切ることです(コロサイ3:5)。
神様は恵みとあわれみに満ちた方ですが、同時に罪を厳しくさばかれる正しい方です。「全き道」を歩み続けられるように、祈り励みましょう。

三谷浩司 牧師