『救い主なる神を忘れる民』(2025.4.13礼拝)

礼拝説教題『救い主なる神を忘れる民』詩篇106篇13-31節

【主題聖句】

彼らは 自分たちの救い主である神を忘れた。 エジプトで大いなることをなさった方を。 (詩篇106:21)

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

106篇の中盤からは、イスラエルの忘恩の罪の歴史とそれに勝る神様の恵みの大きさを学びます。イスラエルの民は神様が紅海を分けて彼らを渡らせて敵の手から救われた時、主の御言葉を信じ、賛美しました(12)。
しかし、彼らはすぐに神様の救いの御業を忘れてしまいます。彼らはまず「水がない」、次は「食物がない」と不平を言いました。すると神様は彼らに水を飲ませ、また天からのパンである「マナ」で彼らを満ち足らせました(出15:24-25、16:2-4)。それなのに、しばらくすると彼らは欲望にかられて「肉が食べたい。エジプトは良かった」と激しく不平を言ったのでした。それで神様は彼らにうずらの肉を食べさせられますが、同時に彼らに怒りを燃やし激しい疫病で彼らを打たれました(民11:4-6、31-33)。
その後も彼らは、神様が選ばれた指導者であるモーセとアロンに向かって逆らった者たちが地面に飲み込まれたり(民16:3、31-35)、モーセがシナイ山に上って十戒を授かっている時に金の子牛を造ってそれを拝んだりと(出32:1-6)、自分たちの救い主である神様を忘れ、繰り返し罪を犯したのでした。またカナン人を恐れて不信仰になって約束の地に入ることを拒んだ結果として荒野を40年間放浪することになり(民14:33)、さらにモアブの偶像バアルを拝み、不道徳の罪を犯しました(民25:1-3)。
それなのに、あわれみ深い神様は約束通りに彼らを捨てず、滅ぼされませんでした(申4:31)。ただし、そこには神の人モーセ(出32:31-32)、ピネハス(民25:11)といった仲介者の存在がありました。私たちもすぐに神様の救いの御業を忘れて罪を繰り返してしまう愚かな者です。しかし神様の約束に加えて仲保者なるイエス様のとりなしによって、すべての罪を赦していただけることは何という大きな恵みでしょうか(ローマ8:34)。まさに「罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれる」のです(ローマ5:20)。

三谷浩司 牧師