『赦しの福音』(2025.4.20礼拝)

礼拝説教題『赦しの福音』ルカの福音書23章32-43節

【主題聖句】

そのとき、イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカ23:34)

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

イエス・キリストが十字架にかかって死なれたことは、学校の教科書にも載っている歴史的な事実です。その主要な根拠となっているのは新約の福音書ですが、それならばキリストが死より三日目に復活したことも事実と考えるのが自然です。そもそもキリストの復活が事実でなければキリスト教は成立し得ないと言えます。なぜなら、キリスト教の真髄は「罪の赦し」であり、それこそ「福音=良き知らせ」なのですから(ローマ4:25)。
イエス・キリストは何一つ罪を犯していないにもかかわらず、強盗殺人犯たちと一緒に十字架につけられました。それはまことの神様を知らず自分勝手な生き方をしているすべての人の罪を身代わりに負って刑罰を受けて死なれることで、ご自分を信じる人の罪を赦すためでありました。
イエス様はご自分を十字架につけた人たち(=全人類)のために、「父よ、彼らをお赦しください。」と祈りをささげられました。その祈りはイエス様の両隣で十字架につけられていた犯罪人たちのためでもあったのです。犯罪人の一人はイエス様に罵声を浴びせましたが、もう一人は自分の罪を認めてイエス様をキリストだと信じたのです。そしてイエス様は彼に「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」と言われました。それは彼の罪がすべて赦されて天国の約束が与えられたということです。
そして死より三日目に復活されたことこそが、イエス様がキリストである証拠です(ローマ1:4)。もし復活がなければ罪の赦しも天国の約束も何の根拠もなくなります。すべての人は罪人ですから、キリストを信じて罪を赦されて天国に入るか、信じないで永遠の滅びの刑罰を受けるか、のどちらかを自分で選択しなければなりません(ローマ3:23-24)。でも、信じるだけでどんな大きな罪も、どれほど多くの罪もすべて赦していただける、これほど良き知らせが他にあるでしょうか。拒むべき理由はないのです。

三谷浩司 牧師