『望む港に導かれる主』(2025.5.11礼拝)
礼拝説教題『望む港に導かれる主』詩篇107篇23-43節
【主題聖句】
波が凪いだので彼らは喜んだ。主は彼らをその望む港に導かれた。 (詩篇107:30)
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
107篇の後半にはイスラエルの歴史にない出来事が登場します。「船に乗って海に出る者」「大海で商いをする者」とは誰のことなのでしょうか。
これまでに三回繰り返されたのは、いずれも主が奇蹟の御業をもってイスラエルを救われたことに対する賛美ですから、今回も同じはずです。とするとこの船はイスラエル、大海はソロモン時代の繁栄(1列10:22)、嵐は彼らに襲いかかった困難、特にバビロン捕囚の象徴と考えられます。主が命じて起こされた嵐に遭い、絶望的な状況の中で彼らが主に助けを求めると、主が嵐を静め、彼らを望む港に導かれた…これはイスラエルが捕囚から解放されエルサレムに帰還したことを言っているのでしょう。
この情景はガリラヤ湖で弟子たちの乗った舟が嵐で沈みそうになった時、イエス様がおことば一つで嵐を静められたのを思い起こさせます(ルカ8:24)。私たちも人生という大海原の航海の中で、激しい嵐に遭って沈没しそうになることが何度もあります。しかしそのような苦しみの時に、私たちが主に向かって叫ぶと、主はその都度恵みによって私たちを救い出してくださいます。そして私たちの「望む港」である最善の結果へ導かれます。神様が私たちをそうした困難の中に置かれるのは霊的に訓練するためで、私たちの益のためであることを覚えましょう(ヘブル12:10-11)。
主は「光を造り出し、闇を創造し、平和をつくり、わざわいを創造する(イザヤ45:7)」方です。創造主なる神様は全世界の主権者であり、私たちの主権者です。それゆえ私たちの人生を良いようにも悪いようにも御心のままに変えることができます。大切なのは苦しい時にこそ自分の人生を主に委ねることです。そうすれば何の心配もいりません(1ペテロ4:19、5:7)。主は必ず私たちの「望む港」へ、そして最終的に天の御国へと導き入れてくださいます。そのように主の恵みの数々を最後まで見極めましょう。
三谷浩司 牧師