「人とは何ものなのか」(2022.5.29礼拝ライブ配信)

礼拝説教題『人とは何ものなのか』詩篇8篇

【主題聖句】人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。
人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。(詩篇8:4)

あるものの大小や価値を決めるには、比較対象となるものがなければなりません。
ダビデは人間というものがどれほどの価値を持っているかを、
大胆にも創造主なる偉大な神様を比較対象として考えています。
私たちも人間の持つ価値を、この世の見方によらず聖書から正しく認識しましょう。

第一に、創造主なる神様の偉大さはご自身が造られた天地万物によって明らかに現わされています(詩19:1)
大自然の驚異と美しさを見て感動を覚えない人はいません。
その完璧なデザインと精巧なメカニズムは、
人知を超えた知恵を持つ創造者の存在を否が応でも認めさせます(ローマ1:20)

第二に、その偉大な神様が私たち人間をご自分の似姿を持つものとして
被造物の中で最高に価値ある存在に造られました(創1:26)
そして神様はご自分が造られた全被造物を統治する権威を人間にゆだねられたのです。
何と栄誉なことでしょう。
それなのに人間は、神様を捨てて悪魔に従うという背信の罪を犯したのです。
何と愚かなことでしょう。
罪によって堕落した人間は創造主なる神様を正しく認識できなくなり、
被造物を自分の神々として拝み、神の似姿としての価値を失ったのでした(ローマ1:22-24)

第三に、神様は堕落して無価値になった人間をも愛されて、
キリストの贖いにより再び価値あるものに造り直してくださいます(イザヤ43:4)
キリストは身代りに十字架で罰を受けて死なれることで私たちの罪をすべて赦し、
私たちに永遠のいのちを与えて新生させて、神の子どもとして受け入れてくださいました。何と驚くべきことでしょう。
人間は自分にとって価値あるものを愛し、価値のないものは捨てます。
しかし神様は無価値な罪人の私たちを心に留められ、
顧みてくださったのです(1コリント1:27-28)

本当に「私」とはいったい何ものなのでしょう。
神様がこれほどに愛してくださるとは。
その愛に応えて、神様の前に価値ある人生を歩みましょう。

三谷 浩司 牧師