「瞳のように私を守る方」(2022.7.31礼拝ライブ配信)
礼拝説教題『瞳のように私を守る方』詩篇17篇
【主題聖句】 瞳のように私を守り 御翼の陰にかくまってください。(詩篇17:8)
「瞳」は人間の体の中で、最も頻繁に使う重要かつ繊細な器官と言えます。だから瞳は「まぶた」によって異物の混入や乾燥から守られているのです。
ダビデはかつて神様がイスラエルの民に語られたのと同じく(申32:10)、「ご自分の瞳」のように自分のことを大切かつ弱くて傷つきやすい存在と見なされて、どんな大きな危険からも守ってくださると確信していました。
それでもダビデは、自分を襲って殺そうとする敵の追手に取り囲まれた絶体絶命の危機的状況の中で、神様に何度も何度も繰り返して必死に助けを祈り求めています。しかも自分が神様の前に信仰者として正しい歩みをして来たことを訴え、それゆえに祈りを聞いて欲しいと嘆願しています。
しかしそれはダビデが神様の前に何一つ罪を犯していないということではありません。ダビデは自分の弱さも罪深さも知っていました(詩51:3)。
それゆえダビデは、まず自分の罪をすべて神様に告白し、心をきよくしていただいてから神様に祈ったのです(詩51:7)。
それは神様が自分のように弱くて罪深い者をも愛しておられ、あわれんでくださるお方であることを確信していたからに他なりません。
またダビデは自分の敵が神様を知らず、この世の物に拠り頼んでいる人々であるとも述べ、そうした世の誘惑からの守りも同時に祈っています。それが真の強敵でもあります(1ペテロ5:8)。
私たちも自分自身が弱くて傷つきやすく、かつ罪深い存在であることを神様の前に正直に認めて、もし自覚している罪があるならば悔い改めて、御子キリストの血によってきよめていただきましょう(1ヨハネ1:9)。
そして私たちをこよなく愛しておられ、「ご自分の瞳」のように大切な存在として守ってくださる神様に常に拠り頼みましょう。
そうすれば私たちが困難な時や苦しい時や辛い時、ダビデのように「瞳のように私を守り、御翼の陰にかくまってください!」と大胆に確信をもって祈り求めることができます。
三谷 浩司 牧師