『命の泉はどこにある?』(2023.2.19礼拝)

礼拝説教題『命の泉はどこにある?』 詩篇36篇

【主題聖句】

いのちの泉はあなたとともにあり あなたの光のうちに 私たちは光を見るからです。(詩篇36:9)

エルサレムは高い台地の上にある町で川が流れていませんが、古代より「ギホンの泉」と呼ばれる地下洞窟の奥にある間欠泉から水を引いて生活用水としています。降水量の少ないこの地方にとっては、まさに「命の泉」と言えるものです。ダビデはそれを「命の源」である神様と重ねています。

この世の人々は「命の水」を持たず知りもしません。真の神様を知らないこの世は罪が満ちており、地上に悪がはびこっています。それは人々の心が神様の命から遠く離れているからです(エペソ4:18-19)。全ての良き賜物は神様から来ますので(ヤコブ1:17)、神様の命を持たない者は必然的に心が悪に向かい罪を犯します。そして罪は平安を奪います。だから人々は心に霊的な渇きを覚えて、平安を与えてくれる「命の水」を慕い求めるのです。

では、その命の水を得られる「泉」はどこにあるのでしょうか?ある人はお金によって買えると考えたり、ある人は厳しい修行によって獲得できると考えます。しかし聖書は、命の水の泉はイエス・キリストにあり(ヨハネ1:4)、だれでも求める者はただで飲むことができると教えています(黙21:6)。

神様はイエス・キリストを信じる人に、命の水を心ゆくまで豊かに飲ませてくださいます。その水は私たちの心の内で泉となって湧き出で(ヨハネ4:14)、心をきよくし、積極的に罪を離れて正しく良い行いができるように力づけてくださいます(箴10:11、13:14)。しかし泉があっても汲む手段がなければ水を飲むことができません(イザヤ12:3)。その汲む手段とは聖書を読み、神様に祈り、神の家である教会に足を運んで主を礼拝することです。

また命の水を他の人にも分け与えましょう。泉を独り占めしてはなりません。いくらでも汲むことができ尽きることのない泉ですから、命の水を必要としている人々に惜しみなく、喜んで分け与える者となりましょう。

三谷 浩司 牧師