『弱き者に心を配る人』(2023.5.7礼拝)

礼拝説教題『弱き者に心を配る人』 詩篇41篇

【主題聖句】

幸いなことよ 弱っている者に心を配る人は。わざわいの日に 

主はその人を助け出される。(詩41:1 )

詩篇には「幸いな人」についての教えが幾つもありますが(1:1他)。ここでは「弱き者に心を配る人」の幸いについて教えています。いつの時代でも、貧困者や病気や障がいなどのハンディキャップを抱えている「弱き者」が多数存在します。聖書はそのような人たちに「心を配る」ことを勧めます。

この「心を配る」とは、単に「心配する」ことではなく、深い思慮をもって具体的な援助をすることを意味します。聖書にはそうした教えがたくさんあります(レビ19:14,23:22、ヤコブ2:15-16等)。そして神様は「弱き者に心を配る人」を「わざわいの日」に助け出されると約束してくださっています。それは、その人自身が「弱き者」になった時に神様ご自身からのあわれみによる助けを受けられると共に、周囲の人々からも様々な援助が得られるということです(ルカ6:38)。ダビデ自身も「弱き者に心を配る人」であった時は、敵に囲まれても神様の守りと救出を、また病の床に伏しても神様の支えと癒しを、さらに神様の祝福を大いに期待して祈ることができたでのです。

しかしダビデが「弱き者に心を配らない人」となった時、すなわちバテ・シェバとの姦淫の罪を犯し、夫のウリヤの命を奪ったことにより、もはや神様のあわれみも助けも期待できなくなりました(2サムエル12:9)。それでもダビデは自分を「弱き者」と認めて心から罪を悔い改めたことにより、神様のあわれみを受けてその罪を赦され、神様に祈れる恵みを回復したのです。  

同様に神様は霊的に「弱き者」である私たち罪人を深くあわれまれ、心を配ってくださいました。すなわち私たちの罪を赦して永遠の滅びから救い出すために、御子イエス様の命を惜しまず与えてくださったのです(エペソ2:4-5)。それほどまでに神様が私たちに良くしてくださったのですから、「弱き者に心を配る人」になりましょう。そうでないと私たちは恩知らずの悪者として、神様のあわれみを受けられなってしまいます(マタイ18:32-33)。

三谷 浩司 牧師

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