『喜びの油を注がれた方』(2023.6.11礼拝)

礼拝説教題『喜びの油を注がれた方』 詩篇45篇

【主題聖句】
あなたは義を愛し 悪を憎む。 それゆえ 神よ あなたの神は 
喜びの油を あなたに注がれた。 あなたに並ぶだれにもまして。
(詩45:7)

この45篇は「王の婚礼の祝歌」であると同時にメシヤ預言の詩篇です(ヘブル1:8-9)。「メシヤ(ギリシャ語で「キリスト」)」とは「油注がれた者」という意味で、神様が全人類の救い主として任職された方に対する称号です。この称号にふさわしい方は、人となられた神の御子イエス様以外にはこの地上に存在しません(使徒4:12)。そのメシヤの麗しさを見て行きましょう。

第一に、心優しく、柔和なお方です。イエス様はどんな人に対しても、特にサマリヤの女、取税人ザアカイのように人々から疎外されている人に優しく語りかけられ、病ばかりでなく魂も癒されました(マタイ11:28-29)。

第二に、尊厳と威光に満ちたお方です。イエス様は「王の王、主の主」であられ、その十字架の贖いの御業のゆえに「力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美」を受けるにふさわしいお方です(黙5:12)。そしてその大能の権威によって、最後の敵である死も悪魔も滅ぼされます(1コリント15:25-26)。

第三に、義を愛し、悪を憎まれるお方です。イエス様は何一つ罪を犯されませんでしたが、私たちを愛し、私たちの罪を赦して義とするために、身代わりとなられて十字架で死んでくださいました(2コリント5:21)。それは私たちの犯した悪を見逃すことをせず、正しく処分するためです。ゆえにイエス様を信じない罪人は罪の赦しを得られず、永遠の滅びの刑罰を受けなければなりません。それが「神のいつくしみと厳しさ(ローマ11:22)」です。

そのようなお方が教会を、私たちクリスチャンを花嫁として迎え入れてくださるのです。それは何と幸いなことでしょうか。だからこそ私たちは主の花嫁にふさわしく、かつての「悪魔である父(ヨハネ8:44)」の家を忘れ、正しい行いをまとい、喜び、楽しみ、主をほめたたえましょう(黙19:7-8)。

三谷 浩司 牧師