『魂の贖いの代価』(2023.7.9礼拝)

礼拝説教題『魂の贖いの代価』 詩篇49篇

【主題聖句】
たましいの贖いの代価は高く 永久にあきらめなくてはならない。(詩49:8)

「起きて半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」という日本の格言があります。それは人間の人生の儚さを教え、際限ない物欲を戒めるものですが、この詩篇も同様の教訓であると同時に、もっと大切なすべての人間に共通する普遍的な問題である死と死後の魂についての教えが扱われています。

第一に、人間には一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっています(ヘブル9:27)。人は死によってすべてを失います。裸で生まれてきたように、裸で死んでいくのです(ヨブ1:21)。どれほど財産を得て、いかに栄誉を増し加えても、死ぬ時は何一つ持って行くことができません。それどころか人は生前の罪の行いに応じて神様にさばかれるのです(黙20:12)。

第二に、人間は自分の力で魂を「よみ」から贖い出すことはできません。聖書は死んだ人の魂が神様にさばかれて行く場所を「よみ(へシェオル)」と呼んでいます。「よみ」は光である神様の御国(=天国)から遠く離された暗やみの世界であり、永遠の滅びの刑罰を受けるまで閉じ込められる魂の牢獄(=地獄)です(2ペテロ2:4)。日本には「地獄の沙汰も金次第」との諺がありますが、魂の贖いの代価は高すぎて誰も支払えないのです(マタイ16:26)。

第三に、私たちの魂を贖い出すことができるのは神様お一人だけです。神の御子イエス・キリストは私たちのために十字架で命を捨ててくださり、私たちの魂の贖いの代価を支払ってくださいました(マルコ10:45)。それゆえイエス様を信じる者は誰でもイエス様の血による贖い、すなわち罪の赦しを恵みによって受け、地獄に行かず天国に行くことができます(エペソ1:7)。

聖書は、このことを私たちに悟らせるために書かれました(ヨハネ20:31)。ですから悟らない人、すなわちイエス様を救い主なる神様と信じない人はどんなに地上で富み栄えても、「滅び失せる獣」に等しい愚か者なのです。

三谷 浩司 牧師